…こんなに苦しいのなら、愛などいらぬ。
そう言えたらどれだけ楽だっただろう。
でも心の奥には、腐りきれていない場所がひとつだけ残っていて。
誰かを欲しくなった瞬間、その場所だけが、確かに動いた。
恋愛なんて、昔から自分の席じゃなかった。
小6の卒業前、たった50メートルだけ一緒に歩いた帰り道。
一緒に勇気を出して話した距離はこの距離のみ。。
それが、今までの人生で一番近かった気がする。
名前も忘れかけているのに、あの道だけは心のどこかで鳴っている。
一目惚れだったのかもしれない。でも、それは“はじまり”にならなかった。
感情は未遂のまま、記憶の底で静かに腐っていった。
それでも生きているうちに、もう一度だけ心が動いた。
36歳の9月。職場の彼女に対して、自分でも予想してなかったほど、心が動いた。
恋と呼ぶには拙すぎて、思いと呼ぶには臆病すぎた。
でも凍っていた感情の底が、ほんの少しだけ溶けていた。
言葉にした。でも、うまく届かなかった。
空回りした気持ちに戸惑って、
適応障害が再発した。
朝が怖くなり、話すことも億劫になり、風景すらノイズに見えた。
でも不思議と、カメラだけは手放せなかった。
腐ってる。それでも、写したいと思う光がある。
シャッターの音だけが、確かに「今」の自分を肯定してくれる。
恋愛ができない38歳は、50メートルの記憶と、動いた9月と、病名と、そして風景を、画角に収めている。
腐った心で、腐りきれていない光にピントを合わせてる。
それが、生き残った“何か”なら――それだけは、ちゃんと残しておきたい。
撮る理由なんてもうないけど、撮らない理由もとっくに腐ったままだ。
紅葉は三色の葉で人々を感動させ、枯れていく。
でも翌年には、何事もなかったようにまた色づく。
腐った心は、あんなふうに枯れることができるだろうか。
一度色を失って、また戻ってこれるだろうか。
紅葉が来年も色を見せてくれるのなら、
僕にも、もう一度くらい、光を写してもいいだろうか。
腐ってる。でも、まだピントは合う。
それだけで、今は十分すぎる。