10/8  22:00
子宮口7センチ
本格的な痛みが到来。
いたたたたた〜〜!
立ってられず、これはそろそろと確信。助産師さんも、今日中には産まれるなーと口々に言われる。

10/9  00:00
子宮口7センチ
えっ?
さっきと変わらなくね?🖕💢
陣痛間隔狭まってるのに、WHY?????
でででも、朝までには産まれてるはずです!
ってゆー助産師さんの言葉を信じきれなくなる

10/9 2:00
子宮口7センチのまま
ねぉおおおー!!痛い痛い痛いーーー!
この、あああーくるくるくるーみたいな感覚、もう絶対味わいたくない

10/9 3:00
かなりの長引きっぷりに、周りがざわめき始める。こちら、意識朦朧。陣痛ない間に気絶するかのように眠り、激痛と共に起きる。
まさに生き地獄。
イビキかいて寝てるダンナにキレるエネルギーさえ惜しく、ああ、いつまでこの終わりなき戦いが続くのか。。

うちは、安産家系じゃなかったのか。

今、100万で無痛にしてくれるなら、払う
なんで無痛にしなかったんだろう。。

このまま息子に会えずに死ぬのかな。

など、もうマイナス志向半端ないw

10/9 4:00
陣痛も2.3分間隔、子宮口も開いてるけど息子が下りてきてなく、破水せずに息子待ちらしい。
おー頼むから、早く出てこいや!!と半キレ。
こんな時に頼れるのは、ダンナではなく、助産師さん。夜中から朝までずっとずっとずーーーっと陣痛の度にマッサージしてくれるm

どれだけ救われたことか!!ダンナも途中から応戦し、水分補給係として活躍。

10/9 5:00
変化なし。
お願いですから、、、促進剤使うか、帝王切開してください。。。。
とうわ言のように繰り返してたらしい。

助産師さん:
医師の判断がないとお薬使えないんですよ〜〜あと少しがんばりましょう

私:
あと少しってどのくらい?

助産師さん:
7時すぎには、医師が来ます

私:
今、何時?

ダンナ:
ろ、ろ、ろ、6時前かな。。(ほんとは5時前)

私:
プツっ
何かがキレ、人生最大の号泣を人様に見せる。
わーーーーーーーん!
ほんとにムリーーーーーーっ!

ああ、今思い出しても泣けてくるぜ

⑤に続く




私の妊婦生活は、順調そのものであった。
なんのトラブルもなく、産休も大満喫し、実家にはちょこちょこ顔を出しつつ、ギリギリまで友達と優雅ランチ✨

我が家の家系として、みな3時間以内のスピード出産だし、残念ながら、がっちり骨盤の超安産型な体型だし、自然でも、まっ!いっか!って感じで、実家に帰った5日後

10/7 AM9:00
おしるし来たる
産院へ行き、チェック。
まだまだということで、自宅へ帰宅

深夜便で帰国予定だった
異国の地にいるダンナに連絡

10/8  AM2:00
なんか鈍痛みたいなもので目が覚める
これが陣痛ってやつ?
分からないけど、陣痛アプリで計測開始

10/8  AM4:00
まだ痛みが続き8分間隔くらいに
っていっても、全然ガマンできるし、家族起こすには時間早いし、ゴロゴロしてよー!っとウダウダ過ごす

10/8  AM6:00
母が起きたので、病院に連絡し、入院準備をして病院へ。こりゃあー昼までに産まれちゃうなーなんて余裕かまして、ダンナが果たして間に合うか、羽田から飛ばしてくるように連絡

10/8  AM6:30
病院到着。
子宮口3センチ。安産家系&体型だし、夕方には産まれてるでしょうとゆーコメントをいただく

10/8  AM8:30
羽田からぶっ飛ばしてきつつ、がっちり朝ごはんは食べてきたダンナ到着。
久しぶりの再会も、おー久しぶりーみたいなノリで、慣れない陣痛室で、超リラックス

10/8  12:00
子宮口4センチ
まだですねー夕方には全開かな?

10/8  16:00
子宮口4センチ
変わらず。。。なんか雲行き怪しくなってくる飛行機内でほぼ寝れてないダンナ、我が実家で仮眠をしに、一度帰り、お互い、夜に備えて小休憩

10/8  20:00
時折強い痛みを見せつつ、まだ余裕✌️
そろそろかと思いきや、子宮口5センチ
まだぁ〜?!
母とダンナ、妹夫婦も応援に来たものの
まだ余裕じゃんと、さっさと帰られる

10/8  21:00
陣痛間隔が、4分から6分に戻ってしまう。
母体が疲れ始めると、間隔が長くなってしまうんだって!ヘェ〜知らなかった〜〜
ってことで、一度寝ることに

④に続く

苦労は買ってでもしろという言葉を聞くけど、

しなくてもいい苦労はしない派です。

苦労なんっつーのは人生に必要なら、勝手につきまとうものよ

ってことで、妊娠発覚後、すぐに24時間無痛分娩可能な産院を予約し、余裕綽々だった私。
がっ!大変な時に限って近くにいないダンナから一言

俺、8月くらいから長期出張になるかもぉー

OMG

そいや、おめさんは、9.11も3.11の時も異国にいて、帰って来れなかったらしいな

さすがに、妊婦が1人っつーのもねーってことで仕方なく、実家近くの自然派の産院で産むことに。。この時は、まだ悲劇が始まるとは思ってもなかった