負の世界遺産アウシュビッツ強制収容所 | 人生楽しんだもん勝ち!!

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一度きりの人生おもいっきり楽しまんと!ということで2012年仕事を辞めオーストラリアのワーキングホリデーを始めに世界を放浪してきます。


【リアルタイム】

只今クラクフでちょっとのんびり中。

明日はミラノに飛びます!

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ブダペストからバスで約7時間の所にあるポーランドのクラクフにやって参りました。


クラクフもまた昔の建物が残っている綺麗な街なんやけど、ここに来た目的はあの世界的に有名な負の世界遺産アウシュビッツ強制収容所を見ておきたいと思ったから。




アウシュビッツ収容所は第二次世界大戦中5年間にもおよびナチス・ドイツによって占領された国の国民に恐怖感を与え続けた。この収容所は1940年にポーランド人政治犯を収容するために設立された。当初はポーランド人虐殺の場として利用する予定であったが、時間がたつとともにナチスは全ヨーロッパの人間、主にそれぞれの国籍をもったユダヤ人、そしてジプシーとソ連軍の捕虜をここに送り込み始めた。




中には、2400キロも離れた所から運ばれてきた人もいて多くは密閉された貨車で身動きひとつできないほど押し込まれ、食糧なしで運ばれた。







収容所の正門には「ARBEIT MACHT FREI働けば自由になる」という皮肉なプレートがかかげられている。






プレートの「B」の文字が上下さかさまになっているのは、囚人のせめてもの反抗であったと言われている。





収容された人々は監禁され、飢え、重労働、医学実験、死刑執行の手段で虐殺されていった。


死を宣告されたユダヤ人のほとんどはここに到着してすぐにガス室に送られ、ファイルに登録されることなく殺されていった。

そのため、収容所で殺された人の数をつきとめるのは困難となっている。

研究者によれば、不完全である資料から約150万人の人々が殺害されたという。






収容所は細かく張り巡らした二重の有刺鉄線で囲まれ、そこには高圧電流が流れドクロマークの看板を掲げて近づかないように警告している。








収容所に残されたいくつかの建物には色々な展示物がある。






各囚人達は3ポーズの写真を撮られ、1943年からはその代わりに左腕に刺青をいれられた。





囚人達が着せられていたストライプ柄の服




第二焼却炉・ガス室の模型。




シャワーを浴びせるとナチスに騙され歩かされた人々の様子がみられた。





これが実際のガス室。


ガス室の天井には、水がでたことのないシャワーが取り付けられていた。

約636坪のガス室に2000人が押し込まれ、天井の穴からSSの衛生兵がその中へチクロンBが投入された。





チクロンB





収容所の倉庫には使用されたチクロンBの缶の山。



その中に入っていた人は15分から20分の間に窒息して死んだ。

その後死体から金歯が抜かれ、髪の毛が切られ、指輪とピアスが取られた。



そして死体は焼却炉へ。

死体が多すぎる時は積み上げる為に外に運ばれた。








これは何だと思いますか?







これは全部囚人達の髪の毛。

この髪の毛を使ってマットレスと布地などを作っていた。






収容所に送られた人達のトランク。





身体障害者達の義手や義足。






これは全て子供達の靴。



囚人の一日の食事量は1300から1700カロリーに過ぎなかった。





朝食として500ccのコーヒーと呼ばれた液体、昼食として1リットルの殆ど水のような腐った野菜で作られたスープ、夕食は300から350グラムの黒パン、3グラムのマーガリンと薬草の飲み物だけ。






重労働と餓えによって体は完全に衰弱した。
囚人達は栄養失調になり最後は死だった。





死のブロック




第10ブロックと第11ブロックの中庭には、両側から高い壁で区切られていた。

第10ブロックの窓に付けてある木の板は、そこで行われていた死刑執行を見られないための措置だった。





死の壁の前でSS隊員達が、約数千人の囚人達、主にポーランド人を銃殺した。





正直ここのことをブログで書くのは僕には難し過ぎて書くかどうか迷ったけど、やっぱり少しでもこういう事が実際にあったという事を僕のブログを見てくれよう方々にも知って欲しいと思いアウシュビッツで買った案内書などを参考に書いてみました。

もっと詳しく知りたい方はYou Uubeなんかで「アウシュビッツ」で検索すると色々ガイドさんが解説してくれたりする動画が出てくるのでそれを見て見るとよく分かると思います。

今回僕は一人でまわったんやけど、やっぱり日本語のガイドさんを付けるべきやったなぁと思った。

アウシュビッツには中谷さんという日本人のガイドの方がいるみたいなので、もしこれから行く人おったら是非中谷さんのガイドでまわってみるといいと思います。