人はみんな、いつか必ず死ぬ。

そのことを頭ではわかっているのに、

誰かの死を前にした瞬間、

胸の奥で鈍く響く音に言葉を失う。


メンターの大切なお姉さんが、

若くして旅立った。癌だったと聞いた。

その知らせのあと、メンターが綴ったブログを読み、

わたしの胸の奥に重い石が一つ落ちた。

静かに、ただ、ずしんと。


「死ぬまでに、どう生きるのか。」


当たり前すぎて誰もが聞き流してしまうその問いが、

まるで真冬の空気のように鋭く心に触れて、

わたしを昔へと引き戻した。


——5歳で亡くした、あの子のこと。



ガリガリに痩せて、

楽しそうにごはんを食べた記憶すらほとんどない。



無知だったわたしは、

助けを求める小さなSOSを見つけられなかった。


あの子は、わたしに何も言わず逝ってしまった。


あの頃を思い出すたび、

胸の奥がじんわり熱くなる。


「もっとできたはずなのに」



その悔しさが、今のわたしの出発点。


その後、不妊治療の苦しさのなかで、

自分の無力さと向き合った日々。



その中で気づいた

「命の食卓」を守ることなら、

わたしにもできるかもしれないと。



あの喪失と後悔が、

今の仕事へとわたしを導いてくれた。






そんな矢先、

生徒さんから一通のメッセージが届いた。



「先生、うちの子が旅立ちました。

最後は眠るように、苦しまずに逝きました。

先生のところで栄養学を学び、体調を整えてあげられたおかげだと思っています。

先代の子は、わたしの知識のなさから若くに癌で——

SOSに気づけず、3歳で亡くしました。

だから今回、天寿をまっとうさせてあげられて、わたし自身も救われました。」






読み終えた瞬間、わたしは静かに目を閉じた。

あの日の後悔は、消えることはない。

でも、その後悔が誰かの救いに変わることもあるのだと、教えてもらった気がした。



わたしが伝えていることは、

ただの手作り食でも、ただの栄養学でもない。


「後悔しないための、生き方そのもの」なのだと思う。


犬や猫の最期は選べない。


けれど、その最期をどんな状態で迎えさせてあげられるかは、今を生きるわたしたちの手の中にある。



最期の一瞬まで“苦しまずに”——



ただそれだけの願いが、どれほど大切で、

どれほど尊いことか。。


わたしは一度失ったからこそ、

誰より痛いほどわかっている。


だから今日も伝える!


誰かの大切な命が、後悔ではなく、

愛で満たされた形で旅立てるように。


死を見つめることは、結局のところ

「どう生きるか」を問い続けることなのだと思う。


そしてわたしは、あの子に胸を張れるように、

後悔しない今日を積み重ねていきたい。


辛かったことや悲しかったことも
全部プラスに、正解にしていければ
それでいいと思うのだ。


そうやってみんな
毎日もがきながら生きていく。


まだまだ階段登り続けるぞ!