久しぶりです。
コロナで自粛期間中に5キロ程
太ってしまいました。
あと4キロ痩せたい…
と私の話はおいといて。
新生児重症仮死、
母子間輸血症候群で生まれた次女ちゃんの話。5歳半になりました。
ふと記録用に書こうと思いつきで書いてます。
生まれたときは、『新生児重症仮死』
『母子(児)間輸血症候群』
を調べまくって鬱病になっていた日を思い出します。これは一生忘れません。
生まれたときに
何人かの親友と思っていた友達に相談したら
『運が悪かったんよ』
『自分の子が障害児とか無理…』など
いわれ、それも更にショックでした。
生まれたときに分娩室で泣き声が聞こえず、先生に『大丈夫ですかね?』と聞いてもそれには答えてくれず
『今処置してますからね』の一言。
看護師さんや先生たちが慌ただしくなる光景。ここじゃ対応できないので
赤ちゃんだけがNICUに連れてかれるとのこと…そんなにやばいの?!
頭が混乱した。
帝王切開だったから麻酔がきれていくと
傷口激痛…
新生児科の先生がきてくれて
『赤ちゃん〇〇病院に行って処置してます。可愛い女の子でしたよ。』と。
私『赤ちゃん大丈夫なんですか?』
先生 複雑な顔をして『今処置してます』
と。やっぱり難しいのかな。。
死んでしまうのかなと思ったら急に
涙が溢れてきました。
旦那さんと両親、私の両親と祖母は
次女ちゃんの入院する病院へ。
私が旦那さんに電話するも
私『今どうゆう状況?』
旦那さん『うーん。』というだけ。。
みんな何も言ってくれなかった。
次の日旦那さんと話した。
次女ちゃんの貧血がひどくて、輸血した。
脳のダメージを広げないように
脳低温療法をしてる。
『3日間は何が起こるかわからないから覚悟しといて下さい』と言われた。と。
それを聞いて、これ、ドラマの話やん。と旦那は思ったらしい…が、現実を突きつけられる。とにかく、3日間はあまり寝れず私も傷口が激痛の中、悩んだり泣いたり祈るような気持ちだった。
山場の3日をすぎた。安堵感。
が、脳のダメージが気になっていたし、
呼吸器の管や、なんか色んな管がつながれていると旦那が言っていた。
写メを送ってもらったがそれを見てビックリした。生まれてきてこんな管だらけ…。無事に生んであげられなくて申し訳ない気持ちで涙が出た。
5日目で私は退院した。本当は1週間らしいが回復も早かったし、早く次女ちゃんの病院に行きたかった。
NICUにつくと主治医の先生が
『お母さん、はじめまして。』と挨拶してくれた。
『今は安定してますよ。』と。
次女ちゃん対面。
小さい…そして管がたくさん。。
その光景を目の当たりにしてなんか
改めてビックリした…。。
看護師さんが『抱っこしますか?』と
言われ『はい。』と。抱っこしたけど
めちゃくちゃ小さい気がした。
2500グラム。長女は3キロ超えてたからかその小さい体に管がたくさんつながれてる状況で抱っこするというのがもう不思議な感覚だった。
先生と話す機会を後日設けてもらった。
そして5日ぶりに家に帰った。
本来なら次女ちゃん一緒のはずなのにいない。祖父母に預けていた長女は私が帰ってきたのでとても喜んでた。
そして翌週、MRIを撮ったのでその結果を聞きに。
ドアを開けるまで緊張してこわかった。
席につくと、主治医の先生、NICUの看護師さん二人が中にいた。
パソコンの画像を先生が見せてくれた。
頭の画像。これをみて先生が説明してくれた。ざっくりいうと、脳にダメージはあるけど、これからの、成長を見ないとどこに障害が出るかわからない。首座らない、歩けない、話せないなどは今の時点では言えない。でも赤ちゃんの脳はダメージをうけてもこれから脳神経が発達するからダメージをうけた部分は別のダメージを受けてない部分が神経をつないで補ってくれる。赤ちゃんだからこれができるんですよ。と。
もう、脳にダメージ=普通に発達しないかもしれないと思った、、
それから先生と約1時間わからないこと、不安なこと話したり聞いた。私の質問にも丁寧に答えていだき今思うと感謝してもしきれない。旦那は横でまた同じ話してるやん。って顔してたけど。
母子間輸血症候群になった理由聞いたけど先生もわからないし、お母さんは悪くない。。
家に帰って話した。家族みんなは
絶対に障害児にならない!!と思っていると。普通に話すし、歩くし、学校も行けるよと励ましてくれた。
長くなりましたのでまた今度。
とにかく今の現状はすごく、元気です!!
歩けるし、話せるし、スポーツ大好きな子になりました(^^)
ただ、言葉の滑舌が少し気になるので
これは様子見ましょうとのことでした。
健康に生きていてくれるだけで幸せだなと思っています。
先生が言われたように他の脳神経がダメージ受けてる部分を補って成長してくれたのだなと。本当に奇跡ってあるんだなと思いました。