・・・T side・・・


私が電車に乗ると決まって座るのはあそこの席だった。


彼が、いつもドアの横に立ち窓の外を見ている。
カーキ色のワークキャップを目深に被り、音楽を聴いている。帽子で見えないし、直視も出来なかったから顔はよく分からなかった。

けれども、とても彼が気になっていた。
というか、すでにもう恋をしていた。

彼は回りの人を見てもいないし気にしてもいないようだったから、私にもきっと気付いていないだろう。


私は毎朝、終電の前の駅で降りる。
そこから歩いて数分のところにある高校に通っているからだ。

彼はというと、そのまま降りずにいってしまうから終点の駅で降りるのだろう。いつも重そうなリュックサックを背負っている。
大学生なんだろうかと思う。

耳にしているイヤホンからはどんな音楽が流れていて、窓の外を見て何を考えているの。聞いたことのない声はどんな声なの?

私はいつも、彼にも電車の乗客にも誰にも気付かれないように彼を見ていた。





高校生活は退屈そのものだった。
みんな同じ格好、髪型。
女友達の悪口やどうでもいい噂話、男の子の話。
そんなの私には気にもならないことだった。

正直一人でいる方が楽だったけど、実際にそうするとたちまちそのどうでもいい話の主役になってしまうから、うまく回りとやっているほうが面倒な事にはならないのだろうと思い、そうしていた。

私の1日の中で幸福な時間は、電車に乗っているほんの10分間だけだった。




今日は朝から雨だった。
昼からどしゃ降りだからと母親に渡された傘は、やたらと骨が多くて大きくて丈夫だがとても重かった。


傘を丁寧に畳み、ホームの階段を降りると彼が電車に乗ったのが見えた。

いつもの席に座る。
向こうは私のことなど気にもとめていないのは分かっているが、どきどきした。
彼の着ているデニムのシャツの袖とコットンパンツの裾が濡れていて、色が変わっていた。紺色の傘には雨粒がついている。




学校から帰り、家に着くといつものように夕飯が食卓に置かれている。
シンクの上には飲みかけの缶チューハイが置いてあり、私は中の液体を流す。
酒の甘ったるい臭いが広がり、窓を少し開けた。


そのまま自分の部屋に行き、制服のままベッドに寝転ぶと「あぁ。」と溜め息がもれた。


あの人は今頃何をしているのだろう。
ふとそう思った。
その後に、まただ。また考えてしまった。と思う。


母親に似ているのか。
自分はやっぱり母親と同じで男が好きなんだと悲しくなったが、この想いはそういうのじゃなくて純粋なんだと自分に言い聞かせた。


まだ外では雨の音がしていた。
窓を開けていたことが気になり、台所に戻る。
部屋は酒の臭いはせず、雨の匂いがしていた。
窓を閉め、夕飯をたべる。のそのそと噛み砕いて咀嚼した。食器を洗い、風呂場に行く。
制服を脱いでハンガーにかけ、下着を脱いでシャワーを浴びる。

5分で終えると、髪を乾かしベッドに入った。
明日は土曜日だから、彼には会えない。


・・S・・side


「またか。」
そう呟き、俺は自転車のかごに乱雑に投げ入れられたであろうそれらを見つめた。
かごには酒の瓶とごみ入りのコンビニ袋が入っていた。
駐輪場から駅までの道を自転車を押しながら戻り駅のゴミ箱にそれらをしっかりと分別して捨てた。
酒瓶のカコンという音が響き、濃紺の空から少し湿った夜風がふわりと体を抜けていった。

耳に着けているイヤホンから流れてくる音楽が身体中に絶えず廻っている。

カーキ色のワークキャップを被り直し、自転車にまたがった。
踏切を過ぎたところにある横断歩道の信号が青になっているのを確認し、ペダルを踏んだ。
この時期の夜はとても好きだ。
自分の気分が良くなるのを感じて、「こんな事で。」と一人苦笑した。


駅から数分の所にあるワンルームマンションに俺は住んでいる。越してきてもう半年程経つが、どんな人が住んでいるのか未だに分からない。

マンションは丘の上にあり、横には大きな川が流れていて地上を見渡すことが出来る。川側にある小さな小窓を開けて、部屋の空気を入れ替えた。
気に入りのチャコールグレーの一人掛けソファに腰を下ろした。




翌朝は小雨だった。
テレビニュースの天気予報で昼から本降りになると予報が出ていたので、今日は歩いていくことにした。
紺色の傘の上にぽつりぽつりと小さな雨粒が弾く音がした。

いつものようにイヤホンをつける。
水分を補給するような感覚だ。血液によって音が身体中に運ばれて自分の中に溶けていく。


朝の電車はとても混んでいる。俺はいつも決まった車両のドアの近くに立っていた。

変化していく景色を眺めていると、電車は終点で止まった。
この近くにある大学に俺は通っている。
電車を降り、改札を通ると圭吾の姿があった。

「圭吾。」

近くまで走って行き名前を呼ぶ。

「おぅ。」

圭吾は振り返り白い歯を見せた。左手にはカバーの外された文庫本を持っている。耳のイヤホンを外し、

「前見て歩けよ。人にぶつかるだろ」

と、俺は圭吾の持つ本を見てそう言った。

「え?あぁ。大丈夫だよ。」
と、本を鞄に押し込みながら彼は言った。

俺達は大学で知り合い、仲良くなった。
文学部はやはり本好きが多い。俺と圭吾は好きな作家がほぼ同じだった。
する話は本の話か、音楽の話。あとは圭吾が自分の彼女の話をする。

「あのさ、ちえみがさ。」

ちえみと言うのは、その彼女だ。大学の後輩で圭吾が少し前に一度も話したこともない彼女に突然告白された。

「なに?」

なかなか話を進めないので、そう促す。

「今度、箱根に行こうって言うんだ。」

「へぇ。行けばいいだろ。」
圭吾は眉間に皺を寄せ、うーん。と唸っている。

「どこまでいってるんだ?」
俺は単刀直入に聞いた。

「ど、どこまでって。まぁ、キスはしたぞ。」

「へぇ。旅行は行かないのか?」

「は、早くないか?」

圭吾は朝ごはんである焼そばパンをかじりながらそう言った。


圭吾が彼女と付き合ってから約一ヶ月が経つ。
告白されたときに初めて彼女の存在を知り、とりあえずOKしたのだがまだ自分が彼女を好きなのかよく分からないと圭吾は言っている。

「お前、もしかしてコレ?!」
俺はふざけて同性愛者を表すポーズをしてみせた。

「ちげーわ!!」

圭吾が慌てて大きな声で否定したので、俺は可笑しくて笑った。


昼休みもその話題になった。
「彼女から行こうって言ってんだろ。じゃぁ、そういう事したいって言われてる様なもんだろ。」

学食のしょうが焼きを食べながら圭吾にそう言う。

「そういう事…したい…って」

圭吾はそうモゴモゴと皿の白身のフライつついて呟いている。

「まだ好きなのかわかんねーの?」

俺がそういうと、圭吾が。
「それも、ある」

と、俺の方を向いて言った。

「はっきりしろよ。」

俺がそう言うと。


「圭くん!」

後ろから声がして見ると、ちえみが笑顔で立っていた。
明るいブラウンの髪はふわふわと巻いてあり低い位置に2つに結んである。
ひらひらしたブルーのシフォンスカートに白いブラウス、胸には体の大きさに合っていない大きな赤い花柄のバックを抱えていた。
圭吾を見つめていたが一度俺を見て、

「真野さん、こんにちは」

と言い、笑顔で小さく頭を下げ、それから髪を跳ねるようにして前を向き直した。
真野と言うのは俺の名字で名前は誠也。
俺はつられて少し笑いながら「こんにちは」と返した。

「ちえみ。今日午後から?」
圭吾は自分の隣に椅子を寄せちえみにそこに座るようにと促した。

圭吾はちえみを見ている。好きか分からないとか言っているが、とても幸せそうなのが伝わってきた。


「ね。いつがいい?」

ちえみが無邪気な笑顔でそう圭吾に首を傾げた。

「えっと。」

圭吾が頭を箸を持たない左手でかきながらそう繰り返しているので俺は見ていられなくなり、つい

「来月だってよ」

と言ってしまった。
圭吾は驚いた様子で俺を見た。

「来月?」

ちえみがくるりとカールした長い睫毛をパチパチさせて、嬉しそうな顔をし、そう言った。

窓の外では朝のニュースの予報通りに、雨粒が大量に降っていて景色が白になっていた。

「紫陽花が綺麗なんだって。」

俺はそう付け足し、紙コップに入ったぬるくなったお茶を飲み干した。

「紫陽花かぁ」

ちえみは尚も嬉しそうに圭吾を見つめている。

驚いて固まっていた圭吾が、ちえみに微笑み返して

「紫陽花。楽しみにしてて。」

と、そう言った。
俺は可笑しくて、ちえみに気づかれないよう少し笑った。