昨日、父の命日だった。確か32年経つのだから、33回忌となるのだろう。

いろいろなことがあって、全ての縁者と縁を切ったので、法要が行われたかもわからない。

時々、書いているが、父の最後は、妻と娘〔姉)によって、あまりに寂しい最後を送ってしまった。


妻(後妻、私たちにとって、継母)の、散財。とにかく物欲の強い人で、人を羨む。

その挙句、宗教に走り、実家の財産を食い潰し、家までも売らなければいけない状態になった。

そんな時に、私に対抗心を持っていた姉が、愚かな浅知恵で、裏で画策した。

それなりの資産もあった家が、夜逃げのように、誰にも告げず、姉の手引きで東京の狭いマンションに移り住んだ。

もちろん、私には、知らされていない。ある日、TELして、「使われていない」と言われ、

一般の人と同じような転居通知のハガキが来ただけである。


4月に引っ越して、どこも悪くなかった父が、1ヶ月後には、意識不明になったと連絡が来た。

息子と病院に飛んでいき、声をかけたが返事はない。ただ、涙が一筋、父の頬に流れた。

昨日から、意識がないというのに、病院には、誰もついていなかった。

引っ越したマンションに行くと皆揃って、楽しそうにしていた。

呆れて早々に帰ってきたが、継母は、疲れたから今日は行かないと言った。


そして、それからわずか。実家から離れて、50日足らずで、息を引き取った。

完全に生きる希望を無くしたのだろう。私にだけ見せた涙が、父の無念さを表している。

しかし、私に言わせれば、ここまでになったことは、自業自得だと思う。


通夜、告別式を済ませ、今回のことの話や今後の話もあるものと思ったが、

姉に早く帰れと、強く言われ、追い出されるように帰ってきた。

300キロの道を車を走らせながら、私も、夫も、とにかく怒りを抑えることはできなかった。


次の朝から、知り合いの弁護士に連絡を取り、状況を説明したところ、快く引き受けてもらえた。

そこから半年、霞ヶ関に通い、調停をした。

姉は、本来、私と同じ立場なのに、今回自分が糸を引いたため、逃げるわけにも行かず、

調停では、私を口汚く罵り、百戦錬磨の弁護士をも、呆れさせるほどだった。

家を売ったお金も、もう残っていなかった。


わずかに残った分をもらい、息子のアメリカショートスティに行かせて、終わった。

丸々血のつながった姉とも、腹違いの妹とも、全て縁を切った。

私たちもその後引っ越したので、住所は知らないはずだ。


その後、姉たちは、墓じまいもしたらしく、面倒見てくれていた親戚にも言わなかったらしく、

あまりの非常識さに、連絡をくれた人がいました。


今、病気をしたりして、身元引受人のため、誰かいないかと言われるが、30年以上も、

音信不通であるし、関われば、また、面倒なことになる。


実家の隣に、同じ時に、同じくらいの家を建て、同じような家族構成で暮らした家族がいた。

父も、その家のおじさんも、一人息子同士で、兄弟のように育ってきた。

その家は、建て替えられたが、同じような趣の家に、今、五代目のご当主がいる。

そのおじさんは、穏やかな晩年を送って、天寿を全うされた。

羨ましい限りである。父にも、そんな晩年を過ごしてほしかった。

父は、周りから、いい人と言われてきた。それは、トラブルを避け、自分では決断しなかったツケが、

回ってきたのではないか。

今、持っていった骨がどこに眠っているのかも知らないが、知らないところで、寂しいのではないか。