「山学校」聞いてわかるひとは、だいぶ古い方でしょう。
今の親が聞いたら、驚くことです。祖父母の代でないと……。
私たちの上にベビーブーム(団塊の世代)がいます。町外れの原野が、宅地開発され、どんどんと家が建ち始め、学校が、パンク状態となり、学校を分けて、新しい学校ができるようになった。
姉達は、小、中学校、途中でお引っ越しをした。
新しい学校にすんなり入学して、私達は、過ごした。
前の学校は、江戸時代からの街中。新しい学校は、自然たっぷりの場所。今は、面影もない立派な街になっている。
若い元気な先生だった。
お天気がいいと、「今日は外に行こう」と、授業しないで、ちょっと歩いて、野山まで行った。
車もそんなにいないとはいえ、40数名の子供を連れて、思いっきり遊ぶ。
冬は、その頃は、まだ少しでも、雪が降った。
「竹スキー」知っていますか。50センチ弱の竹を半分に割り、先端を火に炙ってちょっと曲がる。
簡易スキーの出来上がりである。それをもって、山に行く。やはり、坂がなければ、面白くない。裏山の、傾斜のあるところにいく。
その日の様子で予定が決まる。親に連絡なんかない。しかし、文句言う親なんかいない。
今なら、モンペがすごいでしょうね。
のどかだったなぁ。先生方も、よく面倒見てくれた。放課後、ガリ切りして、謄写版で印刷する(知らないでしょう)する先生のお手伝いしたり、一緒に過ごした。
算数の時間、黒板に、応用問題を3つ書き、正解したら遊んでいいと言うこともあった。私は、それが好きだった。数人のメンバーで、トップ争いをした。5分で解ければ、40分遊べる。
しかし、トップを取っても、次が出てこないと、遊べない。そんな授業も平気であった。
この頃、教師は忙しいと言う。子供も少ない、パソコンもある。なのに、どうでもいいことが多すぎるのではないだろうか。