大正時代の終わり頃、街道から数分歩いた広野に、同時に二軒の家が建った。私達の曽祖父母、祖父母が、幼い1人息子を連れて、移り住んだ。
祖母達も年齢が近く、家族構成も同じなので、親戚以上の付き合いになりました。
だんだん家が増え町の形になってきました。
そして、父も小父さんも、戦争に巻き込まれた。
2人とも、飛行機乗りになりたかったらしい。
父は目で引っかかって乗れなかった。
小父さんは泣いてすがる母親をおいて、出兵した。しかし、父より4歳若い彼は、戦地に向かう前に、終戦を迎えた。
戦地から帰ったお父さん達は、この幸せと平和を喜び、町の行事やお祭りに積極的に参加して、子供達を育てた。
そんな時、私が生まれ、半年後に、隣にも女の子が生まれた。父達以上にベッタリの二人組になった。マイゴザと、カゴに入れたお茶碗持って、おままごと。お互い、100坪ほどの家なので、庭で思いっきり鬼ごっこ!
年頃になり、私は家を出たこともあり、忙しく会うことが難しくなってしまった。
しかし、家がある。行けば会える❗️その想いがあるから、心配もなかった。
久しぶりに会った時、空白の時は、一瞬で、昔の2人に戻る。
今、親父達と同じように、下の名前にチャン付けで呼んでいます。
私の実家は、不甲斐ない父のせいで、無くなりました。
しかし、彼女の実家は、弟さんが継ぎ、その息子さんが、後に続いています。
それも、二世帯住宅などではなく、昔の面影を残した家でした。庭もそのまま、縁側に、小母さんのミシンが静かに鎮座している。友人も、家を出た身ながら、その家を見た時、あの風景が蘇った。血の繋がった人間が住んでいる。
2人とも、親も亡くなり、誰よりも長い年月、繋がっている友達❗️幸せですね
