あと数時間もすれば、フジの身体に触れることができる。

アタシたちは、関西と関東の遠距離恋愛。

思いのほか距離は短くて、だけど、思った通り距離は長い。



今でも。

思い出すたびに顔がほころんでしまうのは、初対面のフジの純粋さ。

彼が、誰かをナンパしてただなんて信じられない。

まっしろで、繊細で、儚い。

そんな、素敵なアタシのコイビト。





指定された場所は、大阪梅田。

お互い計画的な方ではないので、アタシが大阪に着いてから

(単に場所がイマイチわからないという理由で)

待ち合わせ場所は阪急梅田百貨店ということになった。

《着いたよ》

とメールすると、すぐに着信があって、

「どこ?」

とまだ聞きなれてないフジの声が耳を通り抜ける。

「百貨店の入り口。UFJや本屋があるほう」

「じゃあ、そっちへ行くから、待っとき」

場所を説明すると、フジはそう言って電話を切った。

どうしよう。もうすぐ彼に会うのだ。

第一声は、何て言えばいい? こんにちは? 初めまして?

変だな。なんかどれもぎこちない。

何度も電話やメールで話しているのだから、もっと自然に会話しなければ。

自分で自分にプレッシャーをかけて、頭のなかで何度も会話をレクレーションする。





ショーウィンドウに自分の姿をうつして、スタイルの最終確認をした。

さっきもトイレで細かなところをいくつかなおしたけど、それでもなんだか落ち着かない。

そもそも。

自分のファッションセンスとかメイクの仕方よりも、元のつくりが問題なのだ。

どうしようもない。所詮、ブスはブスなのだから、マシになることはあっても、美人になることはない。

なんとなく、通りすがりの人がアタシのことを笑っているような気になって、気分はますますブルーになる。

「はぁ……」

安定剤を、もってくればよかった。

妄想に頭を支配されそうだ。

家に帰って、部屋に閉じこもって死にたい。

ショーウィンドウから目をそらし、アタシは自分の足元を見つめた。

なんか、できればフジに会いたくないな。

もう、このまま会えなければいいのに。

いや、むしろ、このまま会わずに帰ってしまおうか。

彼とのメールや電話は楽しかったけど、

そんなもの、きっとすぐに代用できる。

ぁあ、もう、帰りたい。



・・・♪



そんなアタシの気持ちとは裏腹に、ビヨンセが鳴り、残念ながら、やっぱり着信表示はフジだった。

数秒悩んで、

「はい」

とボタンを押す。

「ぁ、もしもし? なんかそれらしとこおるねんけど、ふじこちゃん、どこ?」

ぁー、もう、近くにいるのね、絶望的。

今日会ったっきり連絡が途絶えたら、当分立ち直れなさそう。

アタシは浮かない気持ちであたりを見回すと、すぐにどれがフジだかわかった。

だって、本当に、すぐ、隣にいたから。

その距離、実質3、4メートル。

辺りでケータイで喋っているのはアタシとフジだけ。

もしかして、フジって天然なのかな。

こんなに近くで喋っているのに、アタシの存在に全く気がついていない。

「ぁ、アタシ、わかったよ。すぐ隣にいる」

え?

案の定狙ったかのように、フジはアタシと反対側へと振り返った。馬鹿だな、コイツ。

「違う、逆だよ」

「ぇ?」

一瞬だった。

目が合う。

心臓が縮む。

鼻筋の通った、端正な顔立ちが、刹那、アタシのコンプレックスを刺激し、ついでに恋心も反応してしまう。

アタシは、瞬時に笑顔を作った。

嘘か本当か。よくわからないけど、とっさに、笑顔が出た。



「えっと、初めまして、かな。一応」







フジとの第一声は、そんな感じ。

そして、忘れられない可愛い時間が、この後流れることになる。

「だって、ふじこ楽しそうやんかー」

彼は電話越しにそんなことを言う。

確かに、今のアタシはストレスフリー。

仕事がしばらくの間休みになり、止まっていた生理が溢れ出したほどだ。

なんて素直なアタシの身体。

卵巣機能低下の疑いで、ホルモン検査までしたのに申し訳ない。

「Aと彼女(=アタシの親友)と地元帰って遊ぶんやろ。

わいだけのけ者やんかー」

婦人科の先生にどう説明しようかと考えながら、適当に相槌を打っていたら、案の定、

「おい、聞いてないやろ!」

と怒られてしまった。

「ごめんごめん」

なんて鋭い人なんだろう。

上手く隠しているつもりなのに。

指摘されて、困る反面、どこかで喜んでいる自分もいる。

全く……、とため息を吐きながらも、フジは笑って許してくれた。

アタシって、すごく幸せ者だ。





ブログを書こうとして、目に止まったのは、

“私と仕事、どっちが大切なのよ! と言われたとき~……”

という文字。

うーん、女も仕事をしているこの時代、

まだ、こんなことを言う女ははたしているのだろうか、と首をひねってしまった。

アタシは。

死ななきゃそんなことを言う女にはなれない。

いや、死んでもそんなことを言う女にはなれないかも。

そんなアタシに対して、毎度、フジは

「冷たい」

と不満を言う。

そんなことないのにな。

一生懸命、愛してるんだけどな。

でも、

残念ながらアタシの一生懸命の愛は、彼にとっては“全然足りない”らしい。

フジは、頻繁に、本当に頻繁に、そのことについて文句を言う。

何度、

「フジには3しか感じられなくても、アタシは10愛してるんだよ」

と言っても伝わらない。

だけど、やっぱり、アタシが10愛しても相手に3しか伝わらなかったら、

3程度の愛なんだろうな、とも思う。

それは、とても悲しいことだ。

愛の価値観の違いは、致命的で、

表面張力ぎりぎりの愛に、さらに愛を注ぐのは、とても、難しい。

アタシは、余り泣かない。

泣かないことが美徳とかそういう信条じゃなくて、ただ、単に“泣き方”が解らないのだ。

哀しいときに限って涙は流れてくれない。

だから、アタシは哀しいことを思い出して泣くのだ。いつも。



フジと付き合ってから、気がつけば一ヶ月になっていた。



その間、何度泣いただろう。

たった一ヶ月でアタシは驚くほど感情をむき出しにしている。

驚くほど、感情をフジに向けている。



だって。

フジは、


笑ってもいいよ

泣いてもいいよ

怒ってもいいよ

喜んでもいいよ



“全部受け止めてあげるから”



と、アタシを甘やかしてくれる。

そして。

現に、そういう風に全てを受け止めてくれる。アタシの全ての人。




時々。

フジは、神様がくれた、最高のプレゼントなんじゃないのかな、なんて考える。

先日、祖母がアタシが生まれた時間と同じ時間に死んでからは、

おばあちゃんがくれた最高のプレゼントなんじゃないのかな、なんて思うようになった。

日に日にその思いは強くなり、

今では半ば確信めいた思い込みで、毎日フジを想っている。


無感情で無意欲で、世界を舐めきっていたアタシへ。


最高の、プレゼント。























だけど。

幸せであればあるほど、アタシには受け入れられない現実が胸の中に湧き上がってくる。




死 に た い 。



抑えきれない波が、アタシを襲い、そして、ぐっと死に近づける。

安定剤をかきこみ頭をかきむしりそして泣けない自分を強く憎む。

しにたいよこわいよころしてよおわらせてもういやだやめたいのいきてることをやめたいのたすけてよ。







残念ながら、

もう、何年もアタシにはフジよりももっと強い絆で結ばれた仲間がいる。

そしてその絆は、幸せであればあるほど強くなっていく。

いつか、アタシは死を選ぶだろう。

安定剤も睡眠薬も抗鬱剤も、何もかも効かなくなって、

自分で最期を決めてしまうだろう。

どうか、そのときは失敗しませんように。

フジが、悲しまなくても済みますように。



……泥沼だ。

16の頃から、どうやって死のうか、そればかりを考えて生きてきた。

アタシの人生にこれ以上なんてなくて、

ここが、アタシの限界点なんだと思っていた。

これ以上の幸福も、知識も、意識も、何一つ変わることはなくて、

ただ、あるとすれば哀しみが増幅するだけなんだと思った。





すき。




体の奥から溢れ出す感情。

気持ちが抑えきれなくなって、吐き出してしまう言葉。




すき。




アタシたちは、毎日のようにそんな言葉を言い合って

相手の愛情を少しでも束縛しようとする。

だけど。

アタシはその言葉を聞くたびに安堵し、

まだ、居場所があるんだと再確認する。



嘘だとは、一瞬たりとも思わない。



彼の言葉は、アタシに向けられた愛情は、どうしてだろう、

これっぽっちも嘘だとは思えない。

それは、傲慢なのかもしれない。

調子に乗っているのかも知れない。

だけど。

アタシは、彼の気持ちがアタシに向いていると、

無邪気な傲慢さで、信じている。







メールで送られてくる、“すきだよ”。


それは、時に“すき?”であったり、


“あいしてる”であったり。




アタシは、メールでは愛を感じない性分だから、

彼の笑顔を思い出しては、素直な気持ちでメールを返す。





“すきだよ”、と。

生きているうちに亮介を凌ぐ男に出会うなんて思ってなかった。



フジに出会ったのは五月の初旬あたりで、

親友が面白半分に送ってきた写メールがきっかけだった。

写真の中のフジは少しはにかんでいて、

恐ろしい速さでアタシの心臓を刺激した。



「遊びでもいいから、紹介して!」



親友の彼氏のナンパ友達だというのを知っていたから、

アタシは迷わず親友に頼み込んだ。

この時。

お酒が入っていた、という事実は、

多少なりとも今のアタシの状況に貢献していると思う。

ちょうど彼の写メールを見たのはトモダチとカラオケでオールをしていた時で、

気分は最高潮にハイだった。

少なからずエロティックな気分があって、

アタシはいつもの投げやりな本能で、誰かの腕を求めていた。




だけど。

残念ながらフジから連絡が来たのは次の日で、

確実にアタシのテンションは下がっていた。

時間というのは恐ろしいもので、悲しみだけでなく、

楽しみや嬉しさまでもを風化させてしまうものだから。


「紹介されたフジですけど」



バーで飲んでいたアタシの元に、

そんなつまらない一文だけが、不意に送られてきた。

今まで送られてきた初めてメールの中で

一番そっけなくて、一番嫌味なメール。

何、コイツ? いきなり戦闘モードなわけ?

アタシのテンションはさらに下がって、だけど



「どうも、紹介してもらったふじこで~す(*´∀`)」



と、元気よく、ありきたりな可愛さでメールを返した。

だって、もったいないじゃん。

こんなにカッコイイ人とメールできる機会なんてそうそうないんだもの。

ねー。

メールって便利ぃ。嘘とか平気でつけちゃうしぃ、

時間とか全然拘束されないしぃ、

策略練って返事できるしぃ。

世の中って、どんどん仮面化してきちゃってる。

「赤くださぁい」

アタシは、空になったグラスを大きく上げてマスターに向かって叫ぶ。

ここの赤ワインはアタシの知ってる限りナンバー1で美味しい。

だから、ここでは赤がアタシの定番。

お金も教養も機会も無いから、上品な飲み方なんて知らない。

だけど、液体として飲む赤ワインは、本当に本当に美味しい。





それにしても。



やる気ナシ。興味ナシ。

完全に彼の眼中に無いアタシ。

いいけどね、別に。

遠距離だし、実際会うことも無さそうだし。

こんなかっこいい人とメールできるだけでも幸せだって思わなきゃ。




彼とは2、3通メールを送りあって、返事が来なくなってしまった。

アタシが飲んだグラスワインよりも少ない数だ。

アタシはいつもと同じように酔っ払って、

いつもと同じようにマスターに心配されて、

タクシーに乗る。

最低なことに、アタシは、酔いすぎて彼に2通も空メールを送ってしまった。

それでも彼からの返信は無く、

所詮イケメンなんてこんなもんだろう、なんて朝起きてちょっぴり落胆した。




亮介に会いたい。

亮介からメールが欲しい。

亮介の声が聞きたい。



多分、こんな風に気持ちが亮介にしか向いていなかったから、

フジの冷たさは、気にならなかったんだと思う。

今では、考えられないことだけど。





20歳になって、まだ、知らない感情があるなんて思ってもみなかった。

人生の、自分に関する思考の大半を知っていたつもりでいた。



これが、アタシと、彼とのスタート。



続くはずが無いと思った物語の、陳腐なプロローグ。