■初めに
私は「原発反対」だが「核武装容認」である。
本来は「反核活動」「反戦運動」と表記すべきだが、「反原爆運動」と記載した。
■こういう問題提起である。
安田さんから2発目の原爆が投下された。
安田さんから私に「この問題提起の意見をください。」と頼まれていない。
<https://twitter.com/YasudaM719/status/918592503690928128>
■失敗に帰した反原爆運動
被爆した世代から私と安田さん(年齢知ったから仕方が無い。)は3世代目にあたります。
我々二人は「先人」にあたります。
私達の世代で、既に原爆投下があったことを知らない人がいます。
少なくとも「反原爆運動」は失敗しました。
モニクロの選挙直前の発言で早稲田大学の『物理』学科の学生が「選挙は行かない。政治学科ではないから。」と発言
言わずもがな..
未来の世代ではなく、我々の子供の世代で破たんしています。
■なぜ失敗したか
1.原爆の投下責任が明確になっていない
原因は下記の摩訶不思議な構図です。
【日本】
「被爆国=戦敗国=戦争犯罪国=敵国(条項)」
【米国】
「投下国=戦勝国=戦争被害国=常任理事国」
このねじれの影響で、原爆投下の責任も日本人が被ることになったのです。
訳の分からない碑が広島平和記念公園に立てられるわけです。
<http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1111632890024/index.html>
「安らかに眠って下さい (アメリカに)過ちは繰返させませぬから」なら分かる。
原爆投下の責任がはっきりしない。
これでは若い人は理解できない。
2.不明瞭な反原爆運動
フリゲート艦の艦長が花束を長崎の平和碑に飾りました。
被爆者がそれを踏みつけました。
<http://obiekt.seesaa.net/article/47381356.html>
(被爆者ら、献花を踏みつぶす 米艦長に抗議 長崎・平和公園 [1989年9月16日 朝日新聞 西部夕刊])
同時に被爆者の行動は責めることはできません。
あれだけの被害を受けたのです。戦後も放射能による原爆症(白血病等)との戦いが続いたのです。
平和を求めるなら、踏みつぶさずアメリカと原爆の在り方を話し合いをするきっかけにしたでしょう。
軍人にとっては、大量破壊兵器の使用は「無能の証」となるからです。
作戦指揮が不要になり誰でも勝利できる。用兵家の能力は問われなくなるからです。
この時点でソ連は崩壊。
中国も核兵器を保有していましたが、軍の近代化は進んでいませんでした。経済もまだまだでした。
アメリカに加害者として自覚を持たせるチャンスを日本自ら失ったのです。
アメリカ大統領の謝罪が20世紀の間になされた可能性があったと思います。