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ネオミーナの生還記


手術出来る所まで縮まなければ
全てを失うかも知れないと充分分かっていながら
(もちろん『死』という意味で。)
でも
いざ手術が出来そうになってみると迷っている私がいるんですと
信頼している看護師さんに相談しました。


看護師さんは
私の打ち明けに
心から寄り添って
話を聞いて下さいました。


私の状況・状態を
よく把握していた数人にも
迷っている事を告げてみました。


そして
私が最終的に決めたのは
『6本目の抗がん剤【CEF】まで打ち切って
次の別の種類の抗がん剤まで試してみる。
ダメだった時は
すぐに手術する。』
でした。


私の手術できる状態は
【限りなく0】
だったのに
抗がん剤5本目で
可能な状態に辿り着けたのです。


本来なら
万歳して即手術のチャンスが訪れているというのに
また、自ら一か八かの危険な道を選択していました。
(自分の情報と思い込みと入り混じってしまっています。
冷静さを欠いて居ます。)


それは結局
最終的な選択権を
私が持っていたからです。


私は
あんなに懇願していたものが手に入ると
次を要求してしまう欲深い女だったのです。


お調子者が欲深さを出したせいで
また、その後
死のふちをさ迷う道を選択していただなんて
その時は、全く分かりませんでした。


【闘病年表*:..。o○☆゚】

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━─━─━─━─━─闘病年表━─━─━─━─━─
2010年 
2月 胸のシコリに気付く
3月 受診(直径1cm。良性の特徴で詳しい検査無し。)
11月 乳がんと診断(トリプルネガティブ。リンパ節に転移有り。)
12月 民間療法スタート[ガン放置療法:食事療法(断食含む)]
〈開始時 直径4cm〉

2011年 
4月 代替療法スタート[ガン放置療法:温熱治療]
〈開始時 直径11cm(壊死を始める。肺に水も溜まる。)〉
10月 手術を決意
[標準治療選択・手術不可能]
11月 抗がん剤治療スタート
〈開始時 陥没状態。〉
(開始2週間後、余命一ヶ月と宣告を受ける。)

2012年 
3月 手術可能になる
(抗がん剤の効果を体験。)

★この時期です。

4月 乳がん手術成功(全摘手術)
5月 再発予防の術後抗がん剤スタート
8月 再発予防の術後抗がん剤終了
(術後治療終了後、3回の講演会)
11月 脳転移発覚(3㎝ 1個)後
ガンマナイフ手術を受ける。

2013年 
2月 脳転移消滅確認

2014年
11月 乳がんプチ講座再開
現在 経過観察中