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ネオミーナの生還記

私は放置療法の選択すると決めてから
家族を含め周りの友達やお世話になっている人に宣言しました。


「抗がん剤で殺されるより、自然療法で頑張れるだけ頑張ってみたい。
それでダメだったなら、納得いくから。」
と。


私の周りのみんな
この事(ガン治療や私の状態)は、よく分からない事だし
とにかく私が頑張るって言うのなら、応援するという反応でした。


唯一、標準治療を勧めたのは
当時高校生だった娘と娘の親友(看護師さんのお子さん)だけでした。


その高校生の2人組から
どんなに説得されても、私は頑なでした。


高校生2人「自然療法は、データが無い!」
と言われれば
私「自然に治る→病院には行かない→データが有る訳、無いやん。」


高校生2人「標準治療は、世界中のデータを元に決められている!」
と言われれば
私「そのデータが捏造なんよ。金儲けの為の仕組みなんよ。」


高校生2人組「ガンを放置すると、身体中に移動して転移してしまう!」
と言われれば
私「抗がん剤を打つから免疫が下がって転移するんよ。しなければ免疫がやっつけるんよ。」


と私は洗脳されている(と思っている)2人を
ああ言えばこう言う応酬話法で、軽くあしらっていました。


高校生2人組の気持ちを思うと、いたたまれません。
今では、本当に申し訳無いと思っています。
この場を借りて謝罪したい気持ちでいっぱいです。
(今でも娘からは、信用を失ったままです・・・)


実際にガンを放置して生還した人に会った事は無けれど
治療しても亡くなった人は何人も知っている。


情報によると、放置療法で治った人は沢山いると
権威ある医師や教授が出版している。
(しかも、「治る」と断言してある)


人は自分の中の情報だけで判断するので
当時の私は、仕方なかったと思います。
(今では、判断するポイントが全く違いますが。)


今となっては
娘に、どんなにか悔しい思いをさせたと反省し
「その節は・・・ご心配おかけしました・・・」
と言っています。


でも実は、このやり取りの流れは
余命一ヶ月宣言をされた時に体験した
アカシックレコード行きの原動力の一つに繋がっていきましたが・・・


【闘病年表*:..。o○☆゚】

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━─━─━─━─━─闘病年表━─━─━─━─━─
2010年 
2月 胸のシコリに気付く
3月 受診(直径1cm。良性の特徴で詳しい検査無し。)
11月 乳がんと診断(トリプルネガティブ。リンパ節に転移有り。)
12月 民間療法スタート[ガン放置療法:食事療法(断食含む)]
〈開始時 直径4cm〉

★この時期です。

2011年 
4月 代替療法スタート[ガン放置療法:温熱治療]
〈開始時 直径11cm(壊死を始める。肺に水も溜まる。)〉
10月 手術を決意
[標準治療選択・手術不可能]
11月 抗がん剤治療スタート
〈開始時 陥没状態。〉
(開始2週間後、余命一ヶ月と宣告を受ける。)

2012年 
3月 手術可能になる
(抗がん剤の効果を体験。)
4月 乳がん手術成功(全摘手術)
5月 再発予防の術後抗がん剤スタート
8月 再発予防の術後抗がん剤終了
(術後治療終了後、3回の講演会)
11月 脳転移発覚(3㎝ 1個)後
ガンマナイフ手術を受ける。

2013年 
2月 脳転移消滅確認

2014年
11月 乳がんプチ講座再開
現在 経過観察中(画像上 ガンは確認されません。)