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ネオミーナの生還記

次の乳腺外科に受診までの一週間の間に
インターネットで情報を調べました。


「こんなに自然療法で助かった人達がいるんだ。
そして恐ろしい治療法(標準治療)以外にも
沢山、良さそうな治療法もあるんやね。
知らされないなんて不公平過ぎる・・・
きっとこれらの知られていない治療法は、
ガンを体に負担かけずに治してしまう為に
一般社会から押しやられているんだ・・・」


私の気持ちの中では
今まであった医療不信の部分が益々大きくなり
抗ガン剤→手術という治療をする気持ちが益々小さくなっていました。


「よし。次に先生に会った時に
色々疑問を投げかけて最終判断しよう。」


病院に行く日がやってきて
主治医のスマイル先生に
今後の説明を受けた後、聞いてみました。


私「先生。ガンの治療法って、他にも色々あるんですね?」
スマイル先生は
【(世界で認められた))根拠】
について話して下さいました。(『EBM』を分かりやすく。)


そして先生のその事を聞いても
抗がん剤拒否しようとする私に続けて
「抗がん剤、手術、放射線は世界中で効果が確認されているのですよ!」
「乳がんが敗れた後、その皮膚は絶対に再生しませんよ!」
「腫瘍マーカーは、あくまで目安の1つです。」
と、おっしゃいました。


看護師さんからも
「まだ、治療をしてもないのに自然療法に行くのは早いと思いますよ!」
「娘さんも、まだ高校生でしょ?娘さんの為にも、頑張りましょう!」
と言っていただきました。


それでも その時の私は
「でも、そう言われてもそれ自体が捏造だし・・・
先生は、自ら治して見せた患者と出会った事が無いから信じられないだけなんだ・・・」
「私も、お客さんと思って引き止めているに違いない!(スマイル先生、ごめんなさい)」
「自然療法という体を傷つけずに治った人を見たことが無いから、そう言うんだ。」
「絶対に治って、見せに来るぞ!」
と思いながら聞いていました。


人の耳って
疑ってかかれば
全て騙そうとしているように聞こえます。


私は
「絶対に騙されないぞ!引っかからないぞ!」
と思っていたので、平行線の会話が続きました。
そしてその会話の中で
最終的な決定権は私にあるのだと分かり
(当たり前ですが・・・)


その後
心配して下さっていた看護師さんとも話しましたが
私の決断は変わりませんでした。
そして最後に、こう返事をしました。


「抗がん剤で殺されるより
自然療法でやるだけやってみたいんです。
それでも駄目で死んだのなら納得いきます。
頑張る前に諦めるのは嫌なんです。」と。

【闘病年表*:..。o○☆゚】

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━─━─━─━─━─闘病年表━─━─━─━─━─
2010年 
2月 胸のシコリに気付く
3月 受診(直径1cm。良性の特徴で詳しい検査無し。)
11月 乳がんと診断(トリプルネガティブ。リンパ節に転移有り。)
12月 民間療法スタート[ガン放置療法:食事療法(断食含む)]
〈開始時 直径4cm〉

★この時期です。

2011年 
4月 代替療法スタート[ガン放置療法:温熱治療]
〈開始時 直径11cm(壊死を始める。肺に水も溜まる。)〉
10月 手術を決意
[標準治療選択・手術不可能]
11月 抗がん剤治療スタート
〈開始時 陥没状態。〉
(開始2週間後、余命一ヶ月と宣告を受ける。)

2012年 
3月 手術可能になる
(抗がん剤の効果を体験。)
4月 乳がん手術成功(全摘手術)
5月 再発予防の術後抗がん剤スタート
8月 再発予防の術後抗がん剤終了
(術後治療終了後、3回の講演会)
11月 脳転移発覚(3㎝ 1個)後
ガンマナイフ手術を受ける。

2013年 
2月 脳転移消滅確認

2014年
11月 乳がんプチ講座再開
現在 経過観察中(画像上 ガンは確認されません。)