私に残された
生き残れる方法は


『CEF6回が劇的に奇跡の確率だという程に効き→手術可能な状態になり→手術成功する事』


しか無いと分かりました。
(効果の確立が2番目の抗がん剤は
私にとって効果が無いかもしれないので)



しかも
一本目の抗がん剤は
2週間前に打ち終わっています。



もう
ただ待つのみ?
それとも祈るだけ?
こういう時には、お百度参り??
しか無い状態でした。



それでも
待っていられない気持ちでした。



帰宅して
家族に伝えると
もちろん
大変驚いていていました。



それから 家族で話し合いをしました。



娘「むしろ どうやって亡くなるのか なんで聞いてこんの?」



私は 布団に寝てる状態では有りますが
トイレとお風呂には 何とか歩いて行っていたし
会話も出来ていました。



咳も酷くて
小さな声で
途切れ途切れで話すのが
やっとの状態でしたが。



私「今 意識あるうちに 生前葬しとこっかな?
最後に みんなの顔を見たいし・・・
バラバラで合うのは 無理やし。」



そんなこんなで
色々考えているうちに



私「まっ 色々 考えても仕方ないかぁ・・・
抗がん剤打ってるし 効果を待つだけやし・・・
やりたい事 やろう!(と言っても体の自由が無いので )

(開き直って)外食にでも行って 景気づけしよう!!(生きているうちに)

何が食べに行きたい??」



そう尋ねると
速攻で
「焼肉~!!!」
と返事が返ってきました。



私は 乳癌になる何年も前から
動物性タンパク質を避けた食生活を送っていて
私が作る料理も そうだったので
そう返事が返ってきました。



私「あのさぁ・・・普通 ガン患者に『焼肉に行こう!』とか言わんくない?」

娘「大丈夫ってぇ~ ママ死なんって~」

私「信じられん・・・けど 死ぬかもしれんちゃけん・・・やっぱり 焼肉 食べに行こう!!」

娘「やった~!!」



なんと 余命一ヶ月宣告された日の夜の外食は
タクシーを呼んで 焼肉屋さんに出かけたのです。


そして決起大会の乾杯をしました。


「どうやったら この難題を解決出来るのか・・・」


私だけが不安そうな表情。




娘と母は
久しぶりの焼肉に笑顔いっぱいでした。



でも 実際に
焼肉が運ばれて来ると
段々 私もテンションが上がってきて
ファイトが湧いてきて
作戦を練り始めながら
美味しく頂きました。

〈病歴〉

2010年 
2月 胸のシコリに気付いて受診(直結1cm。詳しい検査無し。)
11月 乳がんと診断《トリプルネガティブ》(直結4cm) 
12月 民間療法スタート(ガン放置療法)

2011年 
4月 代替療法スタート(温熱治療)
11月 化学療法スタート (余命一ヶ月と宣告を受ける。)★この夜

2012年 
4月 乳がん手術成功
8月 術後化学治療終了(術後治療終了後 3回の講演会)
11月 脳転移発覚(放射線手術を受ける。)

2013年 
2月 脳転移消滅確認

2014年
11月 プチ講演会再開
現在 経過観察中(画像上 ガンは確認されません。)


キティーの鼻にソフトタッチで
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