自分を観察する時に
「快なのか不快なのかで見ると良いですよ」
と私の師であるSAYAKAさんが仰いました。
その時、私の頭の中には
「快でも不快でもない時は?」
という疑問が浮かび、質問をしました。
それに対して、
「心に聞けばいつかどちらかが分かりますよ。」
私の師は答えました。
本当に
そうなのかなぁ
疑問は深まるばかり
突然お話は変わりますが
私は韓国ドラマが大好きです
毎日の様に楽しんで観ております
何故、日本のドラマより韓国のドラマにハマってしまうのか
分かりませんがとにかく大好きです〜
先日もその大好きな韓国ドラマを観ておりました。
そのドラマの中で。。。結構クライマックスです。。。主役の男性が愛する人にこう叫びました。
「僕の事を好きなのか嫌いなのか。それだけで決めて背景を考えないで」
(このセリフ、かなり正確ではないです💦本当はもっとグッと心に刺さります)
背景…
あれ
まさか。。。
快か不快を決める時
私は背景で決めてない
私でいうと背景は概念でしょうか。
持ち合わせの概念からのジャッジで決めようとするから
すぐにピンとこない
こういう理由があるから、これが良い
こういう理由があるから、これはダメ
そういった定義付けを
オートマでして参りました私
必ず自分の感じたことを概念でジャッジし
概念からの承諾を得られることは良いことに
承諾を得られないことは悪いことに
概念の定義から読み取れないものは保留にしておりました。
良いとしたことにはしっかりと保険の効いた承諾書を付けておりましたし
失敗した時にこういう理由があったから選択したっていう身の保身用の承諾書
(自分が発行しているだけなんですがね)
多分、親から 先生から 友人から学び
そういった概念たちを更に自分仕様にし
自分自身に承諾書を発行していたんですね〜。
承諾書なんて発行しているから
瞬時に答えが出てこなかったんですね。
本能の赴くままに・・・
ただ感じたことを
ただ欲したものを
ただ好きなことを
ただやりたいことを
何も考えず無我夢中にのめり込める
そんな素敵な生き方や考え方は
残念ながらして参りませんでした〜
承諾書が発行されない限りは
全て許可をせず、却下して
型にハマった生活に
満足して。。。もはやそれが良いのだと
錯覚を起こしておりました
(何故か。。。しっかり例外はありました)
快か不快か
やりたいことかやりたくないことか
それだけでよかったのに〜
思考ばかり使っていた私は
つまり意識ばかり使っていたって事にもなります。
無意識を使えていない為
直感力を働かせることが出来ず
咄嗟に快か不快か決める事が出来なかったんですね
もう承諾書は発行停止
ああ。。。大好きな韓国ドラマ
有難うね〜
益々、大好きになっちゃいました
これからは
快か不快か
直感や本能の赴くままに
軽い感覚で生きて参りま〜す
本日も最後までお読み頂きまして心から感謝申し上げます