ここからは、若干辛口気味。
共喰いに関する色々なご意見・感想を拝見しましたけど、まあ私の個人的な感想としましては、特に何も思わなかったですハイ。感動とかも別になかたかな‥うん‥
制作サイドがロマンポルノの系譜と仰ってたので、うんまあロマンポルノだよねって感じ。S.EXで始まってS.EXで終わってるわけだし。ロマンポルノの系譜なだけあって、カメラワークとか全体的な映像は、かつての日.活映画を思い起こさせる感じだったかな。
色んな方がカメラワークや映像や音響の妙を絶賛していたので、多分スゴいんだろうなあと思いつつも、いやでも昔の日.活とか東.映とかって大体あんな感じだったしなあ‥と思ったりで、うーん‥私の見方が浅いのかなあ(´・ω・`)‥正直、映像様式に関しては特に何も思わなかった‥懐かしさは感じましたけどね。
ただ、共喰いの感想等の中でちょっと引っ掛かったのが、女達が男から解放されたというような表現。いやだって、解放されるも何も彼女らは最初から自由だったじゃん。男に支配されてた?いやむしろ、支配してたのは彼女らの方だろう?そもそも、何で暴力を受ける側・S.EXをされる側=支配される側なんだよ、そりゃ明らかに男性優位主義の視点にたった偏見だと思うぜ。
例えば琴子。
彼女は愛.人である円から暴力を振るわれているわけだが、これは彼女が暴力を享受することによって、円を支配しているという見方が出来る。暴力の享受という餌でもって、琴子は円を潜在的に平伏させているのだ。彼女の支配欲は「うちの身体がすごいええって言うんよ」というセリフにも表れている。籠絡されているのは円の方だ。暴力を受けているから囚われて支配されてるなんていうのは、一面的な見解に過ぎない。
琴子は円から受けた暴力の痕跡を、家の中では隠そうともしてない。彼女はこれにより、円と同じ依存性を持っているであろう遠馬をも、その支配下に置こうとしていたと思われる(なので、物語のラスト付近で自分の元を訪れた遠馬を見て、彼女の支配欲は大いに満たされただろうと考えられる)。
また彼女は仁子から円は妊.娠した女には暴力を振るわないということを、予め(ここ重要)聞いて知っていた。彼女の中では、(その相手が誰であれ)妊.娠した時が潮時という公算があったのだろう。ただ、彼女の支配欲の凄まじいところは、自分がいなくなるという事実を、円本人ではなく円の息子である遠馬に告げた点だ。琴子には、遅かれ早かれ遠馬の口から、自分の失踪の事実が円に伝えられるという確信があったのだろう。琴子本人ではなく、第三者(遠馬)から捨てられたという事実を聞かされた円が混乱し、自分を求めて身悶える姿を想像して、彼女はかの新天地で愚かな円を嘲笑っていたのかもしれない。琴子は円という駄犬を、捨ててなお支配し続けたのだ。
もう一人のヒロイン千種はどうか。
彼女は若いせいか、琴子のように潜在的な支配をする域にまでは達しておらず、その激しい支配欲を全身に滲ませて隠そうとすらしていなかった。
千種の支配欲は、琴子のそれよりもずっと直接的で、彼女はS.EXという餌でもって遠馬を支配していたわけだが、投げ与えた餌に関する主導権は常に自分が握っていないと気が済まないという欲が、彼女の言動等の端々から窺える。
それが最も顕著に窺えるのが、遠馬が千種に狼藉(時代劇かよ)を働こうとした時の彼女の言動だ。10日もあっていない、許してくれなくてもいいからヤらせて欲しいという遠馬の言葉に対する千種の返事は「いっぺん死.ね」‥確かに、遠馬の行為は身勝手な上に、言動もクズそのものだ。けれど、仮にも恋仲であろう相手に対して、なかなか死.ねとは言えないものだろう。
「もう会いたくない」、「嫌いになった」ではなく「いっぺん死.ね」ヒステリックに「死.ね」と言うのならまだしも、千種は殺意を込めた声で(本気だったからこそ落ち着いた低音だったのだろう)「死.ね」と言った。ここから、彼女は遠馬の狼藉そのものではなく、「自分の許可を得ずに」狼藉を働いたということに腹をたてていたということが窺える。「自分の許可を得なかった」ということが、千種にとっては重要なのである。自分の許可を得ずに餌に飛びつくような、躾のなってない駄犬は死んで当然というのが、彼女の見解なのだろう。これにより、千種と遠馬の関係は、純然たる支配者(千種)と被支配者(遠馬)であり、そこに恋心はないと考えられる。千種と遠馬に濡れ場はあってもキスシーンがないのは、2人の間に横たわるのが恋愛感情ではないことを示唆してたのかもしれない(だから、遠馬は千種を幸せにして欲しいという感想を見ると、ものすごい違和感を感じる。間に愛がないのにどうやって幸せになるんだよ)
だから、円の千種への暴力は、千種にとっては許し難い、万死に値する行為であったに違いない。しかし、支配者たる彼女は、自らの手を汚すことをよしとせず、傍らの遠馬に殺したいなら殺せと、暗に円の殺害を示唆した。
だが、遠馬にとって円は実の父親である。彼は円の性癖を嫌悪してはいるものの、円本人のことは肉親として、むしろ愛おしさを感じている。千種への暴力に対して、遠馬は憤りと腹ただしさを感じてはいたが、それが真の殺意にまでは結びついていないように思えた。殺そうと思う程の憎悪は、遠馬の中にはなかったと思われる。
だから、遠馬は何度か千種に「殺すから」と訴えて、暗に自分を止めて欲しい、殺せという命令を取り消して欲しいと訴え続けていた。最も、千種は遠馬の立場も感情も葛藤も知った上で、殺せと言っているわけだから止めるわけがない。この辺りに、千種の嗜虐性にも似た強い支配欲が感じられる。
結果として、円はかつての妻だった仁子の手によって葬られたわけだが、千種にしてみれば、円を葬ってくれるなら相手は別に誰でもよかったのだろう(確か本編でそんなようなセリフを言っていたような)。仁子が遠馬の母親であるということも、彼女にはさほど大した問題ではなかったはずだ。むしろ、仁子と対面した時、彼女の中に揺るぎのない決意を見て、この人なら必ず成し遂げてくれるという確信があったに違いない。だからこそ、あの時千種は遠馬を引き留めたのだろう、下手に邪魔をされては困るから。
共喰いを女達の解放の話と見る向きがあるけど、やはり「解放」という言葉には違和感を覚える。暴力をふるわれ、性交では受け身の側だから、女達が「奪われ」「支配される」者達とするのは、男性優位主義に立った見方でしかない。そもそも女達は最初から自由だった。彼女達は最初から最後まで気高き支配者として、自らの足下にひれ伏す男達のこめかみを、ゆるやかに踏みにじって嘲笑っていた。女達が男達を侮蔑をもって支配し、男達がその支配を歓喜と共に受容している様を、延々と描き続けているという点で、この映画はおぞましく、それでいて平淡なS.M映画と捉えることも出来ると思う。
この物語で、敢えて変化を語るとしたら千種だろう。
かつての彼女は、餌(S.EX)を与えることで、男(遠馬)が平伏すことに愉悦を覚えていたわけだが、円の死という事件を経て、千種は餌を与えるという行為そのものに悦楽を感じるようになり、その支配欲をよりいっそう強めたと思われる。
行為そのものが愉楽であるわけだから、遠馬が交わることが出来るなら、相手が千種でなくてもよかったように、千種もまたよりいっそうの愉楽が齎され、より深く自分の支配欲を満たしてくれるなら、相手は遠馬でなくてもよいとなっていくだろう。となれば、琴子が円をゆるやかに見限ったように、千種が遠馬を放り出す可能性も十分考えられる。
先にも述べたが、千種と遠馬の間に愛はなく、千種は支配者である。忠実なる駄犬である遠馬は、放り出されれば千種の元ではないどこかへ行くしかない。この辺りを鑑みると、前記事でも述べたように、私にはかのアパートの女の姿が遠馬の行く末を暗示してるように思えてならないのだ。
この物語の男女を見ていると、かの北.野武が「S.EXというものがある限り、男は女に一生勝てない」というようなことを言っていたのを思い出す。女達がかの土地で、自らの確固たる場所を手に入れて、貪欲に支配欲を高める中で、女達の足元に平伏していた愚かな男達には破滅と絶望が齎された。円が汚れた川で捕れた鰻を貪り喰う姿は、この物語の男女の象徴であろう。澱んだ川に追い込まれ、気まぐれに生かされる鰻は愚かな男達、その鰻を頭からバリバリ貪る円は、女達の本質そのものだ。
ちなみに、仁子は母親なので、琴子や千種とは立場が微妙に異なる。彼女が円を手に掛けたのは、女達に囚われ続けた円の解放を意味してるとも思われる。それがかつての円の支配者だった彼女にとっての後始末であり、円への憐れみでもあったのだろう。
以上が共喰いの雑感でございますー。斜めから観ている上に、多くの方々のように素晴らしい!傑作だ!感動した!と、手放しで絶賛しているわけじゃないので、批判もあるかと思いますが、まあそれは甘んじて受けるつもりでごじゃります。批判されても、「へい、全くその通りで」ぐらいの返ししか出来ませんが(爆)
ただ、千種が遠馬以外の男と云々の部分に関して、これを千種への中傷と取るなら、それはお門違いもいいところでっせ。遠馬が女なら誰でもいいやとアパートの女やら琴子やらとほにゃららするのはよくて、千種が別に遠馬だけが男じゃねえしと、遠馬以外の男とくんずほぐれつするのは許されないなんていうのは理屈が通らんだろ。
男をとっかえひっかえする千種をふしだらとするなら、それは男性優位主義による千種への蔑視でござるよ。第一、千種は遠馬と結婚してるわけじゃないんだから、関係を持つ相手を変えたところで何の問題もないはず。未婚であっても、女は貞操を守るべきなんていうのは、男の身勝手な妄想ですよ
。クソ喰らえでごじゃりまする。
あの子の本格的な主演映画ですし、劇場であの子の身体を張った演技が観られたことも嬉しかったけど、まあ私は何回も観たいとは思わないなというのが正直なところでございます( ´,_ゝ`)‥一回で十分ですわハイ(あの子が出ていなかったらまずもって観に行かなかった映画だからさ‥)。
私はいわゆるフツーの俗物なので、あの子にはそこそこ万人ウケするエンターテイメントに出て欲しいなあというのが正直な気持ち。エンターテイメントというと、派手なアクションとCG塗れとイメージされそうですが、そんなものなくったってエンターテイメントは出来ますよ。かの半.沢直.樹は派手なアクションもCGもありませんでしたけど、極上のエンターテイメントでしたからね、あの子にはこういう作品に出て欲しいなあ:*:・(*´ω`pq゛
相変わらず読みにくい上に、無駄に長くてすんまそー(^p^)
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共喰いに関する色々なご意見・感想を拝見しましたけど、まあ私の個人的な感想としましては、特に何も思わなかったですハイ。感動とかも別になかたかな‥うん‥
制作サイドがロマンポルノの系譜と仰ってたので、うんまあロマンポルノだよねって感じ。S.EXで始まってS.EXで終わってるわけだし。ロマンポルノの系譜なだけあって、カメラワークとか全体的な映像は、かつての日.活映画を思い起こさせる感じだったかな。
色んな方がカメラワークや映像や音響の妙を絶賛していたので、多分スゴいんだろうなあと思いつつも、いやでも昔の日.活とか東.映とかって大体あんな感じだったしなあ‥と思ったりで、うーん‥私の見方が浅いのかなあ(´・ω・`)‥正直、映像様式に関しては特に何も思わなかった‥懐かしさは感じましたけどね。
ただ、共喰いの感想等の中でちょっと引っ掛かったのが、女達が男から解放されたというような表現。いやだって、解放されるも何も彼女らは最初から自由だったじゃん。男に支配されてた?いやむしろ、支配してたのは彼女らの方だろう?そもそも、何で暴力を受ける側・S.EXをされる側=支配される側なんだよ、そりゃ明らかに男性優位主義の視点にたった偏見だと思うぜ。
例えば琴子。
彼女は愛.人である円から暴力を振るわれているわけだが、これは彼女が暴力を享受することによって、円を支配しているという見方が出来る。暴力の享受という餌でもって、琴子は円を潜在的に平伏させているのだ。彼女の支配欲は「うちの身体がすごいええって言うんよ」というセリフにも表れている。籠絡されているのは円の方だ。暴力を受けているから囚われて支配されてるなんていうのは、一面的な見解に過ぎない。
琴子は円から受けた暴力の痕跡を、家の中では隠そうともしてない。彼女はこれにより、円と同じ依存性を持っているであろう遠馬をも、その支配下に置こうとしていたと思われる(なので、物語のラスト付近で自分の元を訪れた遠馬を見て、彼女の支配欲は大いに満たされただろうと考えられる)。
また彼女は仁子から円は妊.娠した女には暴力を振るわないということを、予め(ここ重要)聞いて知っていた。彼女の中では、(その相手が誰であれ)妊.娠した時が潮時という公算があったのだろう。ただ、彼女の支配欲の凄まじいところは、自分がいなくなるという事実を、円本人ではなく円の息子である遠馬に告げた点だ。琴子には、遅かれ早かれ遠馬の口から、自分の失踪の事実が円に伝えられるという確信があったのだろう。琴子本人ではなく、第三者(遠馬)から捨てられたという事実を聞かされた円が混乱し、自分を求めて身悶える姿を想像して、彼女はかの新天地で愚かな円を嘲笑っていたのかもしれない。琴子は円という駄犬を、捨ててなお支配し続けたのだ。
もう一人のヒロイン千種はどうか。
彼女は若いせいか、琴子のように潜在的な支配をする域にまでは達しておらず、その激しい支配欲を全身に滲ませて隠そうとすらしていなかった。
千種の支配欲は、琴子のそれよりもずっと直接的で、彼女はS.EXという餌でもって遠馬を支配していたわけだが、投げ与えた餌に関する主導権は常に自分が握っていないと気が済まないという欲が、彼女の言動等の端々から窺える。
それが最も顕著に窺えるのが、遠馬が千種に狼藉(時代劇かよ)を働こうとした時の彼女の言動だ。10日もあっていない、許してくれなくてもいいからヤらせて欲しいという遠馬の言葉に対する千種の返事は「いっぺん死.ね」‥確かに、遠馬の行為は身勝手な上に、言動もクズそのものだ。けれど、仮にも恋仲であろう相手に対して、なかなか死.ねとは言えないものだろう。
「もう会いたくない」、「嫌いになった」ではなく「いっぺん死.ね」ヒステリックに「死.ね」と言うのならまだしも、千種は殺意を込めた声で(本気だったからこそ落ち着いた低音だったのだろう)「死.ね」と言った。ここから、彼女は遠馬の狼藉そのものではなく、「自分の許可を得ずに」狼藉を働いたということに腹をたてていたということが窺える。「自分の許可を得なかった」ということが、千種にとっては重要なのである。自分の許可を得ずに餌に飛びつくような、躾のなってない駄犬は死んで当然というのが、彼女の見解なのだろう。これにより、千種と遠馬の関係は、純然たる支配者(千種)と被支配者(遠馬)であり、そこに恋心はないと考えられる。千種と遠馬に濡れ場はあってもキスシーンがないのは、2人の間に横たわるのが恋愛感情ではないことを示唆してたのかもしれない(だから、遠馬は千種を幸せにして欲しいという感想を見ると、ものすごい違和感を感じる。間に愛がないのにどうやって幸せになるんだよ)
だから、円の千種への暴力は、千種にとっては許し難い、万死に値する行為であったに違いない。しかし、支配者たる彼女は、自らの手を汚すことをよしとせず、傍らの遠馬に殺したいなら殺せと、暗に円の殺害を示唆した。
だが、遠馬にとって円は実の父親である。彼は円の性癖を嫌悪してはいるものの、円本人のことは肉親として、むしろ愛おしさを感じている。千種への暴力に対して、遠馬は憤りと腹ただしさを感じてはいたが、それが真の殺意にまでは結びついていないように思えた。殺そうと思う程の憎悪は、遠馬の中にはなかったと思われる。
だから、遠馬は何度か千種に「殺すから」と訴えて、暗に自分を止めて欲しい、殺せという命令を取り消して欲しいと訴え続けていた。最も、千種は遠馬の立場も感情も葛藤も知った上で、殺せと言っているわけだから止めるわけがない。この辺りに、千種の嗜虐性にも似た強い支配欲が感じられる。
結果として、円はかつての妻だった仁子の手によって葬られたわけだが、千種にしてみれば、円を葬ってくれるなら相手は別に誰でもよかったのだろう(確か本編でそんなようなセリフを言っていたような)。仁子が遠馬の母親であるということも、彼女にはさほど大した問題ではなかったはずだ。むしろ、仁子と対面した時、彼女の中に揺るぎのない決意を見て、この人なら必ず成し遂げてくれるという確信があったに違いない。だからこそ、あの時千種は遠馬を引き留めたのだろう、下手に邪魔をされては困るから。
共喰いを女達の解放の話と見る向きがあるけど、やはり「解放」という言葉には違和感を覚える。暴力をふるわれ、性交では受け身の側だから、女達が「奪われ」「支配される」者達とするのは、男性優位主義に立った見方でしかない。そもそも女達は最初から自由だった。彼女達は最初から最後まで気高き支配者として、自らの足下にひれ伏す男達のこめかみを、ゆるやかに踏みにじって嘲笑っていた。女達が男達を侮蔑をもって支配し、男達がその支配を歓喜と共に受容している様を、延々と描き続けているという点で、この映画はおぞましく、それでいて平淡なS.M映画と捉えることも出来ると思う。
この物語で、敢えて変化を語るとしたら千種だろう。
かつての彼女は、餌(S.EX)を与えることで、男(遠馬)が平伏すことに愉悦を覚えていたわけだが、円の死という事件を経て、千種は餌を与えるという行為そのものに悦楽を感じるようになり、その支配欲をよりいっそう強めたと思われる。
行為そのものが愉楽であるわけだから、遠馬が交わることが出来るなら、相手が千種でなくてもよかったように、千種もまたよりいっそうの愉楽が齎され、より深く自分の支配欲を満たしてくれるなら、相手は遠馬でなくてもよいとなっていくだろう。となれば、琴子が円をゆるやかに見限ったように、千種が遠馬を放り出す可能性も十分考えられる。
先にも述べたが、千種と遠馬の間に愛はなく、千種は支配者である。忠実なる駄犬である遠馬は、放り出されれば千種の元ではないどこかへ行くしかない。この辺りを鑑みると、前記事でも述べたように、私にはかのアパートの女の姿が遠馬の行く末を暗示してるように思えてならないのだ。
この物語の男女を見ていると、かの北.野武が「S.EXというものがある限り、男は女に一生勝てない」というようなことを言っていたのを思い出す。女達がかの土地で、自らの確固たる場所を手に入れて、貪欲に支配欲を高める中で、女達の足元に平伏していた愚かな男達には破滅と絶望が齎された。円が汚れた川で捕れた鰻を貪り喰う姿は、この物語の男女の象徴であろう。澱んだ川に追い込まれ、気まぐれに生かされる鰻は愚かな男達、その鰻を頭からバリバリ貪る円は、女達の本質そのものだ。
ちなみに、仁子は母親なので、琴子や千種とは立場が微妙に異なる。彼女が円を手に掛けたのは、女達に囚われ続けた円の解放を意味してるとも思われる。それがかつての円の支配者だった彼女にとっての後始末であり、円への憐れみでもあったのだろう。
以上が共喰いの雑感でございますー。斜めから観ている上に、多くの方々のように素晴らしい!傑作だ!感動した!と、手放しで絶賛しているわけじゃないので、批判もあるかと思いますが、まあそれは甘んじて受けるつもりでごじゃります。批判されても、「へい、全くその通りで」ぐらいの返ししか出来ませんが(爆)
ただ、千種が遠馬以外の男と云々の部分に関して、これを千種への中傷と取るなら、それはお門違いもいいところでっせ。遠馬が女なら誰でもいいやとアパートの女やら琴子やらとほにゃららするのはよくて、千種が別に遠馬だけが男じゃねえしと、遠馬以外の男とくんずほぐれつするのは許されないなんていうのは理屈が通らんだろ。
男をとっかえひっかえする千種をふしだらとするなら、それは男性優位主義による千種への蔑視でござるよ。第一、千種は遠馬と結婚してるわけじゃないんだから、関係を持つ相手を変えたところで何の問題もないはず。未婚であっても、女は貞操を守るべきなんていうのは、男の身勝手な妄想ですよ
。クソ喰らえでごじゃりまする。
あの子の本格的な主演映画ですし、劇場であの子の身体を張った演技が観られたことも嬉しかったけど、まあ私は何回も観たいとは思わないなというのが正直なところでございます( ´,_ゝ`)‥一回で十分ですわハイ(あの子が出ていなかったらまずもって観に行かなかった映画だからさ‥)。
私はいわゆるフツーの俗物なので、あの子にはそこそこ万人ウケするエンターテイメントに出て欲しいなあというのが正直な気持ち。エンターテイメントというと、派手なアクションとCG塗れとイメージされそうですが、そんなものなくったってエンターテイメントは出来ますよ。かの半.沢直.樹は派手なアクションもCGもありませんでしたけど、極上のエンターテイメントでしたからね、あの子にはこういう作品に出て欲しいなあ:*:・(*´ω`pq゛
相変わらず読みにくい上に、無駄に長くてすんまそー(^p^)
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