さて、前回に引き続きお蛇さんのお話です。
結構お蛇さんの話題ばかりなんですがね。
私の母と祖母は少し霊感があり、その周りで不思議なことがよく起きていました。
一方父方はといえば、全くそういったことはなく、縁遠いのかと思っていたのですが、父方の祖父と祖母が亡くなって暫くたってから私に色々とメッセージが来るようになりました。
お蛇さんというのは父方関係が多いです。
私は体系も身体の虚弱性も父方の祖母にそっくりです。もしかしたら体質も似ているのかもしれません。
父の実家は少し遠いので、子供の頃から年に数回しか訪問しなかったのですが、滞在中はとても癒され、特に祖母の穏やかな性格や声音は大好きでした。
祖母の存命中は知らなかったのですが、非常に強い信仰心をもち、毎日毎日祈りやお世話をされていたそうです。そう、それがお蛇さんです。父の実家の家の一番大事な柱の下にお蛇さんが下敷きなっているそうで、その供養というかお詫びというか、そんな理由でお蛇さんの祠が敷地内に建てられ、祖母が毎日掃除していたそうです。
父の兄弟姉妹たちの中には小さな頃に亡くなった方や若い頃に自分で命を絶たれた方もいます。存命の兄弟たちはみな、四十代で国からの保護を受ける病を患っています。私の父もそうです。かといって、絶望的ではなく、今はある程度日常になれて生活し、楽しみもあるのだと思います。
そんな娘息子を案じたのでしょう、祖母の信心はとても強いもので、お蛇さんたちも穏やかに、そして確かに護って下さっているようです。
祖母の亡き後、そんな真摯な信仰を継ぐ者がいません。
お蛇さんたちは祖母の厚い信心を悪くは思っていないので、今も怒ることはないそうですが、たまに、ちょっと覚えてる?とアピールするらしいのです。それをキャッチするのが私です。
実は、父は六人兄弟の末っ子でありながら、私の実家には父の家の先祖のお仏壇があります。
私が二十歳前後のある日の明け方に見た夢が始まりです。
明け方四時か五時ごろに見た夢は私の家の庭に所狭しとお墓がランダムに並んでいるものでした。それらの中には私が見てもわかるくらいに古い古いものや、近代のものがありました。
「これからあなたがみてくださいね」
という内容の言葉が聞こえ、すうっと目覚め、また思いました。
「あれ?この夢はちょっと違う…」
そういった経緯で、父方の先祖供養はうちがしています。
先祖供養という言い方は好きではありません。よく分かりませんが、供養という響きがなにか違うようなきがするのです。
ところが、その仏壇には祖父や祖母は入っていません。
実は祖父と祖母は駆け落ちをしており、生まれた土地を捨てたそうなんんです。祖父の家の敷地内に先祖からのお墓があるそうなので、曾祖父たちが亡くなった後は家も土地も荒れて手入れができないそうです。といいますか、そこがどこだかもわからないそうです。
二十年くらい前、父と母がその土地を探しに歩いたらしいのですが、結局人の記憶も曖昧で、その上その土地は土砂崩れか何か分かりませんが踏み入れられない場所になっているらしかったのです。
私がそれらのルーツを探ることがあるのかないのかわかりませんが、今は父方の祖父と祖母までのご先祖さまが私の父の家にいるそうです。
そんな理由で、二十歳ごろから父方のメッセージを受けるようになり、それはお蛇さんという形でやってきます。本当にお蛇さんなのか、分かりやすくお蛇さんで来てくださるのか謎ですが、ああ、これは父方のメッセージだなと思えるようになってきました。
前回の夢に現れたお蛇さんは、一年前にお蛇さんの祠にご挨拶したきりだった私にアピールといいますか、護っているからね、心配ないようにというメッセージだったのだと思います。
最近ようやく多くの物事に感謝するようにはなりましたが、ついつい忘れてしまう私に「護っているよ」と安心をくれたのだと思います。
それにしても、首の後ろに体当たりとか、ブーツインとか、もう、びっくりします!
だけど、あのくるんとしたかわいらしい目を思い出すと笑みがこぼれます。
念のために書きますが、私はお蛇さんの姿や動きが非常に苦手です。
今はやっと夢でのご対面になりましたが、昔は、といっても二年くらい前までですが、本物のお蛇さん登場ばかりでした。あまりにも辛いので、お姿はあまり得意ではないので…と伝えてから一度も実生活でお蛇さんを見ることがなくなりました。
でもね、夢でも一応体験するわけですから、ブーツインはきつかった!
今回も川に玉子を流すときに、お姿が苦手だと、ちょっとだけ伝えました。
このようなことがあると大事だなと思うことがあります。
それは祖母のお蛇さんの祀り方です。
お世話になっているMさんがいつも言います。
「私の代だけしかできませんが、とか私が生きている間だけですが、と断りをいれて見えない者たちとつきあってね」
人間は自分や自分の大切な人のために信仰します。
また、その加護が必要なときには一生懸命になります。しかし、与えられていたあたたかい加護が突然切れたとき、貰っていた側はどうでしょうか。
時には怒ることもあるかもしれませんね。私は寂しいのではないかと思います。
神格が高いものはあたたかいかもしれませんが、もしかして神化したところのものはそうではないかもしれませんし、そしてそれらは人の信仰や思いのエネルギーがとても必要なのかもしれません。わたしも細かいことは分かりません。
只、頼るなら真摯に向き合い、できる限り「私が生きている間だけですが」と断りを入れた方がいいのではないかと思います。
祖母もそれは一心に信心されたそうです。お蛇さまも今でも笑顔です。だけど、今の状態を考えるとお蛇さまに失礼ですよね。
敏感に受け取れるものは気づきますが、そうでない方は片隅にこういったことを覚えていて下さればいいなと思います。
秋です。
来週末には大きな力をくださった神社へお礼に行ってきます。
父の実家にもよりますので、お蛇さんの祠にご挨拶してきます。
