また1年経ちました。
開いていただいてありがとうございますまた前回の更新から1年たちました。身体的には健康に過ごせたということです。でもたくさんの出来事がありました。ブログ書こうと思ったのは、心境の変化もあったからです。まず去年から今まで私に起きたことたち➊職場が急に廃業した❷父が直腸がん→一時的に人工肛門になった❸新しい職場に就職したが、合わない・・・抗不安薬内服し始める❹もうすぐオペ後5年、再発率0%となる・・・大学病院卒業することになりそうなかなかドラマチックな1年でした。まず、去年末に急に職場が廃業しました・・・テナント契約の問題だそうで。2か月後に出て行ってほしいと言われ、なんと契約上、反対することが出来ず・・・移転先を探したけれど見つからず、廃業に・・・移転先を1か月探していたことから、患者さんに伝えるのも遅くなってしまい、ほぼ毎日休日出勤して継続治療が必要な患者さんには電話して、紹介状をお書きして・・・で大変でした医療機関でもそんなことあるんだと思いました。知識もないとテナント経営も怖いですね。急に無職となったわけですが、数か月後からからオープンするクリニックがあるからとのことで、そこで雇ってもらえることになりました。そして無職期間中に、実家から連絡があり、父が直腸がんが見つかったとのこと。転移はなかったものの進行がんで、下部の方。癌がある部分だけとりのぞけばいいわけではなく、ある程度のマージンを取って除去せねばなりません。直腸の下部の方ということは、本来であれば肛門部分が残せないということになります。でも父は肛門を残したいという希望がありました。学生時代のツテなど使用して情報を集めたりしました。近所の総合病院から大学病院へ紹介してもらい、一時的に人工肛門をつくって最終的には肛門を残す方針なりました。無職期間だったもので父の通院に付き添ったりして、他の家族がどうしても仕事が外せなかったため(自営業なので父が休む=母が働かないといけない)、手術のときも私が付き添いました。私的には親孝行できたかな?と思いますでも検査過程で初期の前立腺がんも見つかり、その治療も挟んだりして大変そうです父も仕事量を減らしましたが、地元にいた弟が家業を手伝い始め、うまいこと回ってるようです。昔は弟のこと頼りないと思っていた時期もありましたが、今は父の病院の付き添いも弟が行っており、うまいこと対応してくれてます。たくましくなったものです。そして私は新しい勤務先に勤めはじめたわけですが・・・新規オープンのクリニックで、理事長先生がいて、院長先生も決まっていて、私はさらに下のポジションで勤務日数も少なめの採用でした。理事長先生はすでに別場所でクリニック経営しており、今回のクリニックば2店舗目です。それを生かしたノウハウもあるだろうし、私は前の職場では雇われ院長だったけれど、今回は院長先生がいてさらに下のポジションになるわけだから、夫の仕事の手伝いをしながら体に負担なく仕事もできるな、と思ってお話を受けたのですが、予想以上にオープニング業務が丸投げ・・・理事長先生も現場に来ない、院長先生もクリニック勤務の経験がない・同じく現場にあまりこない、という状況が続き、ほぼ私が主導で色々決めなくてはいけない状態でした。私だってクリニックオープニングの経験はありません・・・。準備の段階で精神的負担が強く、内覧会(クリニックのお披露目会)のときにはすでに現場に行きたくなさ過ぎて、朝泣いてしまいました。その後もマネージメントがまったくうまくいっておらず、スタッフは続々やめる、待たされすぎた患者さんから罵倒される(しかも1回ではない)、5年ぶりに手技などやらねばならない、休日出勤のようなこともあり(無給)、私は職場に行くのに不安が強くなり、意味もなく涙が出てきたりなどして、家族や友人にも話は聞いてもらっていましたが、それだけでも足りず、生まれて初めてメンタルクリニック受診して、不安な時に抗不安薬を内服するようになりました。早々に職場を辞めようと考えていましたが、前のクリニックから患者さんを連れてきてしまっていたりなど辞めるにしてもどうしたらいいのか考えなくてはいけないことがいくつかあり、策を練っているうちに職場環境など色々なことがおちついて、なんとなくダラダラ働けてしまっています。でも常にどうやって辞めようか考えているし、突発的に不安になり内服してしまうことがまだあります。周りからは辞めなよ、と言われるし、自分も辞めたいと思っているのですが、辞めるのにも労力入ります。まだ勤めて日も浅いし。私はどの職場でもいつも同じように不安がっていないか?嫌がってないか?私自身に問題あるのか?とぐるぐる色んなことを考えてしまい、ここしばらく本当に気持ちが落ちていました。そんな中、御盆で父に久しぶりに会いました、食べる量が減ったせいでかなり瘦せていました。しかし手術直後は色々と食事も気にしていたようですが、今は「いつ死ぬかわからん!」と好きなもの食べているようでした。「車も買おう~」とカタログ眺めたりもしていて、私も術直後は「いつ死ぬか分からないんだから好きにしよう」と思っていたな~と懐かしい気持ちになりました。いつの間にか、そんなこと忘れて、結局自分の好きに生きれてない。あんな辛い思いしたのに、なんで自分のこと甘やかしてあげられないの?と自分に対して悲しくなりました。でも、やはり行動に移せないということは、今なんとなく自分を甘やかすことに将来的な不安があるんだろうなと思います。そしてお盆過ぎ、半年ぶりの乳がん定期受診がありました。そこで担当の先生に「異常ないですね、もう次回の受診で手術して5年ですね、再発率も0%になるし、通院は1年ごとでいいと思います。なので担当を別の先生に変わるか、クリニックに行ってもらう話になるかも。そういえば受精卵凍結はどうしたんですか?まあ、これに関しては僕があれこれ言うことではないので、お任せします」と3分くらいで診察が終わりました。もちろん良かったことですが、自分的には何も感じなかった・・・つもりです。そのあとに、大学時代の友人の家に遊びに行くことになっていました。友人と2人きりと思っていましたが、向かう途中に「娘(5歳)と夫がスイミングプールから帰ってくる」と言われました。正直、旦那さんともそこまで仲良くはないし、子供もちょっと会いたくないな、と思いましたが「娘がはること会うの楽しみにしている」と言われたので、そんなことも言えず、家に向かいました。娘が私に会いたいというのは社交辞令だろうな、と思っていたのですが、ほぼ初対面の娘ちゃんは本当に私に会いたがっていたらしく、私に「このyoutubeみて!すごく面白いの!」(おばたのお兄さんのジブリモノマネで本当に面白かった)と話しかけてきたり、急にモノマネも披露してくれたりで、普通に楽しい時間が過ごせました。そのあと、近所の公園に散歩に向かうついでにお見送りしてもらい(「はるこちゃんと一緒に公園いく!!」と娘ちゃんが言いだした)帰宅したのですが帰りの電車で衝撃的なことを思いました。「子供ほしいかもしれない」受精卵凍結も破棄しようとしたのに?私いま37歳なのに?子供いても子供が不幸になるだけと思っていたのに??色々な疑問や不安が出てきましたが、今もまだ気持ちは継続しています。そして、その後からはなんだか仕事が楽になりました。なんでだかわかりません。乳がんのことが単に安心できたのかもしれないし、もしかしたら仕事を辞められる口実になるかもとかとんでもないことを心の底で考えているのかもしれません。夫にも相談してみましたが、「え、俺は子供のいない人生と思っていたから青天の霹靂なんだけど」という当たり前の反応でした。私は子供を作ることは責任が重大と思っています。勢いで、と言われる年齢ではないし。1人で決められることでもない。とりあえず、まだそんなこと思い始めて1-2週間しか経過していないので、特に行動に移せずいます。少ししたら、そんな気持ちも落ち着いたりするのか・・・こんな淡い気持ちで決断していいものか・・・でも淡いとはいえ、一度この気持ちが出てきてしまったら、もし作らなかったときに将来後悔するのかも・・・?なんてモンモンしています。なにがきっかけだったのかは分かりませんが、気持ちが大きく変わったので記録のためにもブログ更新してみようと思いました。またなにか進展があったら更新してみようと思います。かなり長文でとりとめもない感じになりましたが・・・読んでいただいてありがとうございます