乳がんとわたし

乳がんとわたし

42歳で充実腺乳管がんの告知をうける。

そこから始まった数々の出会い、体験。
現実的な事、少しでも役立つ情報
冷静に綴りたい。
そんな思いでいっぱい!

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久々に記録。
昨年、オペより5年を過ぎ
運命共同体の(私だけがそう思ってる😅)主治医は
第一線を退かれ、故郷に戻られました。
私もがんサバイバー現役からOGになったような感。

6月が来ると、あの葛藤の日々が蘇る。
先日、ふと
「もう6月も終わるけど、そういえば定期検診行ってないな」とスケジュール帳を見るも何も書かれていない。
電話で予約確認すると「今日予約入ってますよ!」と告げられ大慌てで支度をし病院へ。

名前を呼ばれ放射線科の先生と
「お久しぶりです」ってにこやかに挨拶を交わしたが
PC画面を見た先生「今日何しに来たんだっけ⁇」私も数秒間「⁇何しにって…検査結果と今後の話を。ん?検査してないな」

先週、諸々の検査の予約があったのに、すっぽかしていた!
見事な勘で電話確認して今日だと言われ飛んできたものの
検査結果なくして、先生との話があるわけない。ですよねぇ😑
「まぁまぁ、折角ですから近況を聞かせてちょうだいな」といつも明るく元気でクレバーな放射線科部長先生。
本当に、この先生大好き。
カラリとしてて、なんでも聞ける空気を醸し出してくれていて、なんでも答えてくれる!
でも病気のことで聞くこともないので
お互いの子供の大学受験の話を。
茶飲友達のように盛り上がった😂

先生は浪人して、某有名大学に行かれ、息子さん、娘さんも浪人して大学へ。
【浪人、男はしていいとおもうんだ。
だって、高校生活を謳歌しようと思ったら受験勉強なんて間に合わない。男なら、どっぷり高校生活をこれでもかと楽しんで、その戒めとして1年間自分を受験地獄に閉じ込める。でも、その先には希望があるから現役生に負けねーぞ。って頑張れる。これを落としたら後がないってプレッシャーは年明けた頃に寝ても覚めても襲ってくる。とにかく親は何も言わず、やりたいことやらせておくに限るね。
そのかわりお金はかかるけどね🤣
つまり僕は、子供の予備校代を、自分も親に投資してもらったスキルで稼いでるんだね。
堂々巡りだね】
なんて、豪快に笑ってた。
先生の生き生きとした仕事ぶり、ステキなお父さんなんだろうなぁ。
と、そんな実りのある時間を思いがけず頂いた日でした。

で、今日は仕切り直して検査に。
採血のあと、腕を圧迫するために縛ってたのはガーゼだったけど、可愛いピンクのゴムバンドになってて
「わ❤️かわいー」と思わず写真とった。

来週こそ、結果が出る。
どうか、無事クリアしますように!