これを書こうか、書きまいか。
ずっと迷っていたのだけど。


投資・消費・浪費。


言い訳あいまって「消費」にしようとする欲望を
抑えてちょっとした「浪費」を切り抜けた。


仕事後の
食べても食べなくてもどっちでもいい昼ランチ。

「浪費?」

ということに気がつき始めた。


「自分の高揚感をあげるためのお金の使い方」を
先日から見直して、欲望と戦い中。
ほんっと、よくよく考えたらけっこうな「浪費」。

イベント打ち合わせ、
仕事の打ち合わせ、
でご飯をすることも多いから、
どっかきちんとしないと
気がつくと財布が空っぽで「ギャー!」っていう時がある。


仲間とイベント打ち合わせ、
仕事の打ち合わせは「投資」だよね。
なんたって生産性がある。


友達とランチするのも、
たまに必要。
お休みの日くらいはさ。
「美味しいねぇ!」と言いながら
息抜きするのも「投資」。
きちんとガス抜きできたら
次の日また頑張れる。


んじゃ、仕事後のおひとり様は・・・
「作るのメンドクセーなー。」
が根底にあり、
仕事頑張るのは当たり前な話で、
仕事一本ごとのご褒美なんていらんわけだ。


こりゃ「浪費」だね。
消費活動とも違う。


こうやって

投資
消費
浪費

の考えでいくと、
お金の流れには人間関係もセットだ。


と考えてた中で、
昨日の田口さんの講演会で同じようなことを言っていた。


誰と過ごすかで使うお金が変わる。
お金が変わるというよりは、
過ごす時間の質とお金の質が違うというべきか。


田舎に住んでいながら、
「しがらみ」とか「つきあい」って言葉が
どうも子供時代から肌に合わない。

社会人になっても
「なーんで一緒に居たくない人と時間過ごさないかんの。」
と思うこと多々。


嫌なやつも来てるのに、
なんで人数合わせで飲み会にいかなあかんの?

お前、それわかってて、なんで誘ってくるん。


・・・この時点でいい友達とは言えないよねw
けど昔は断ると

「自分が悪い人間のように思われそうだ。」

とこんな思いだってよぎったことがある。
逆に、煩わしい人や依存性の強い人だと承知の上で
それでも手を貸してあげると

「お世話好きだね。」
「面倒見がいいね。」

となんとも体裁のいい言葉にごまかされて
いい人ぶりに磨きをかけて頑張っちゃったりしてね。


結果として、
煩わしい人、依存性の高い人というのは
手厚くお世話した後にどうなるかというと

思考能力を奪われる

ので決して自分がしたことなどいいことではなかったなと思う。
これは子供や可能性がある人を育てる「投資」とはわけが違う。


育ちもしない、時間は奪われる、自分が疲れる


「浪費」以外の何者でもない。
でもこういった行動というのはお金がつきまとう。


常に一緒にいたがるものだから、
生産性のない時間を共に過ごし、
別に一緒に食べたくもないご飯を食べ、
「よっしゃ!あの人に会いに行こう!」
って時に

「あの人もついてくるの?」

ともれなくセット扱いで丁重にお断りされる。


ってことが昔あったんだよw


人間関係さえ、もういい年だからね、

投資・消費・浪費

で考えるのは必要だと思う。


こういうことを書くとね、
「ひっどーーーーーーい」っていう人も多いのだけど(笑)、
自分で生きれるのって、一回きりだからね。


一緒にいたい人に時間とお金を投資して
過ごしたいじゃないですか。



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