本日、


実家に行ってまいりました。

うちの内情をお話するというのは
ちょっとお恥ずかしいのですが、

おそらく、
こういった状況下の人は
今の時代、多いはずです。


父はメニエールをきっかけに、
ちょっと心を病んでいます。


本人に自覚はないですが、
体と心が別であることは
受け入れ始めました。


2年かけて( ̄▽ ̄;)


一番辛いのは本人です。
当然ながら。


寝てばかりいて、
自己肯定感は低くなる一方。


どうせ役たたず、
オレなんかいないほうがいい、
早くむかえがこねーかな。


そんな言葉が当たり前に出てくる始末。


何かをしてあげたいのに、
何もできない。

孫の顔を見て、
一番体を動かして遊びたいのは
父本人なのですが、

それができないことも悔しい。


人間て、
誰か一人のためでも、
役にたてた時に存在意義ってのを
満たせる生き物。


家族的に、
何をしてやれるわけでもないのですが、
今この状態でどうやったら
肯定感を高めて挙げられるのかを考えてみた。


今までしてきてもらったことを思い出して、
ありがとうと伝えるくらいかな?


今日も、

「はよ治して、みんなで温泉でも行こうさ。」

と話をしてみて、
父が、

「お盆の一番高い時に毎年旅行なんざ、
 俺が棟梁やってたから出来たんだ。」

と切なそうに息をフーフーしながら言い始めたので、

「そだね、普通のサラリーじゃ無理だったね。
 父さんが棟梁してたおかげらねー。」

と。


こういう会話の端々で、
認めてもらいたい欲求って、
耳をキチンと傾けると
聴こえてくるもんだなって思った。


そこをすかさず「ありがとう」といって
自分に価値があったという事実から
認めなおすこと、なのかな。


今は、

草刈りが10分もできない体に
本人がため息をついてる。


身内だから
「グダグダ言ってるな!」と思うこともあったが、
誰よりも神経すり減らして生きてきた人なので、
今こういうことになったんだろうな、と。


全てが自己責任で仕事をしてきた人だから、
自分の存在価値って、仕事を通して感謝されるくらいしか
なかったんだろう、と。


父にはまだやってもらわなきゃいけないことが
沢山あるので、気長に話を(たまに)聴こうと思う。


家族のケアが一番難しいと、
昔、福祉の授業で先生が言っていた。


が、
家族のケアができたら、
他人なんてなんのその!
ということでもある。


父と一緒になってうなだれても仕方ない。
悩んでどうにかなるなら悩むけど、
悩むだけ時間の無駄。


こういっちゃ冷たい響きだが、
もし治らないとしても、
せめて老後にいい施設に入れてあげれるくらい
面倒見れる自分になっておくために時間を使いたい。


ま、
人生も中盤。
色々あるから面白いんだ。



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