震災後、

「自粛・不謹慎」

と言う言葉をよく聞くようになりました。


不謹慎について↓

http://ameblo.jp/ochimasato/entry-10830934123.html

おちまさとさんが書かれていた日記に、私の思いと似たようなことが書いてありました。



最近では「自粛」といい、色んな物事が中止になっています。

私の身近でも、仲間のミュージシャンが主催するイベントが「延期の方向での一時中止」になりました。

避難所に指定されたのでやむをえない結果だったと思います。



自粛も、どこまで自粛すればいいのか。



全員が全員自粛したらこの国の経済も危うくなるでしょう。



これからの時期、花見も自粛、GWも自粛でしょうか?



被災しなかった人たちには、しなかった人たちの役割があります。

以前も日記に書きましたが、


・義援金

・できる範囲の援助

・節電


こういったものも協力していくのも一つの役目だと思います。

が、



経済を支えていくのも、被災していない私たちの役目ではないでしょうか?

今までどおりのやり方の中でお祭り騒ぎ・・・というわけには行かないと思います。

だから、今までどおりのやり方の中から「出来る普通」をこれから残していき、

今までどおりではいけないであろう部分をちょっとアレンジして、「新しい普通」を作っていくのも必要かなと思います。



私はお花見には行くと思います。

子供を連れて。



ただきっと、

エコボトル持って言ったり、ゴミを出さないようにしたり、ちょっとしたことを例年より心がけて。

電気の要らないお昼の桜を楽しみたいと思います。



GWも出かけると思います。

我が家の生活費をすべて支援に回すのは不可能です。

だから、生活費の一部を経済を支えるために使えればって思います。



震災を受けたのに、遊びに行くなんて不謹慎だ!



と思われる方も沢山いらっしゃると思いますが、それでも私は行きます。

例えば子供に「地震が起きたから遊びに行けないよ。」と言うと、

子供は「地震のせいで遊びに行けない」→「被災した人が多いから我慢しなくちゃいけない」という間違った解釈になりかねません。

これではまるで被災者が悪いようになってしまいます。

もちろん教え方も大事なのですが、私はこういうときだからこそ、普通に振舞い、

自分たちが楽しんだお金が日本を支えているっていう方向からアプローチしたいです。



私は被災していません。

被災者の気持ちは私たちの理解をはるかに超えています。

悲しみや、この先の不安なども。

同情は被災者にとってどう映るだろうと考えたら、いつもどおりに暮らして、

被災した方たちが同じ生活に戻れる日本を作る側として生活したいと感じています。



だからこそ、自粛ムードのある中でどこまでが自粛なのかを個々で考える機会だなと思いました。



自粛も、不謹慎も、それは誰も決められません。

己の心が決めます。



自粛ムードに流される自粛なら、それは自粛じゃなく、横へならえ!です。

つまはじきにされたくないから、という思いがさせる自粛です。



自粛も、活発に活動することも、どちらも間違いではありません。



だからこそ、流されることなく、自分の心でそれを決めていってもらえたら、と思います。




新しい普通が、今までの普通から一杯これから生まれるでしょう。

でも新しい普通は、きっと地球にも自分たちにも結果として優しい普通になるんじゃないかな?と期待しています。


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