囚人は本日10時までとてもご機嫌でした。

そしてそのご機嫌が損なわれた、こんな一件。



それは近くで工事をしていたダンナ様のお義父さんが休憩時間にイチゴを届けてくれた。

イチゴをくれたあとにワタシに残していった言葉とは・・・



「味噌とか、米とか無くなったらお前が直接うちの(お義母さん)に連絡してやりとりしてくれや。

うちのもあの通り気が短いっけ、○(ダンナ様)が取り入ったりするよりそのほうがいいだろうっけ。」



「・・・はぁ・・・・・?・・・わかりました。」



確かに今週お味噌が切れて、そのうち貰いに行こうと思っていた。

貰いに行こうと思っていた矢先、ダンナ様が買ってきたのでお義母さんに連絡することは無く終わった。



で、なぜお義父さんが味噌を切らしたことを知っている???

いやその前に、ワタシはちゃんといつも自分で連絡して野菜やお米やお味噌を頂いてるし、その都度しっかりお礼も言っている。


いきなり実に覚えがないことを言われて

「なんでこんなこと言われてるんだ?ワタシ・・・」

と思っていたので、お義父さんにはワタシがまるで他人事を聞いてるかのように見えただろう。


恐らくお義父さんは愚痴をこぼしているお義母さんを見て、直接対決になる前にワタシにさりげなく伝えに来てくれたのだろう・・・

と思った。




が、イマイチ納得いかない自分が居て、ちょっと気分転換しに実家へ行った。



「違うなら違うって言えばいいじゃん!ちゃんとそうしてるって言えば?」



と母の一言。

確かにワタシ、悪いことしてないし、ちゃんとそうしてるって言えばよかったのか。



「だけど、お母さんもあったよー、あんた産んだ時。」



と母の嫁・姑昔話。

父は次男なので同居ではなかったが、囚人出産時は父の実家に里帰りをしていたそうだ。

親切にしてもらうたびしっかり


「ありがとうございます。」


と伝えていたにもかかわらず、祖母は伯母たちに


「ロクにお礼も言わない。」


と愚痴をこぼしていたそうだ。母はそれを数年後に伯母から聞かされたという。



「私はちゃんと言ってたんだけどね。

それでも相手には伝わってないことってあるからね。

何かしてもらう都度に、細かにありがとうって言うことだね。」



色々何かをしてあげてる側というのは、


「これだけしてあげてんのに!」


と回数が増えていくとそういう思いがよぎるようになってくる。


色々してもらっている側というのは


「ちゃんとお礼だって言ってるつもり。」


と回数が増えていくと「つもり」という慢心になってくる。




もしかしたらお義母さんがたまたま愚痴をこぼしていた日は、

お義母さんの機嫌があまり良くなかった日かもしれない。


が、


もしかしたら、ワタシも伝えているはずの「ありがとう」にきちんと


感謝の念


が乗っていなかったのかもしれない。

形だけのありがとうでは、言われた側はいい気分はしないに決まっている。

ワタシもどこかで慢心になってきていたのかもしれない。



当たり前って「慣れ」なんです。

だけど「ありがとう」が「慣れ」てはいけないんです。




お義父さんだって本当は伝えにくかっただろうと思います。

いやな役を買って出て、忠告頂いた事はとてもありがたいことなのに、

それに対して一日凹んでモヤモヤしてたワタシって・・・




まだまだちっちぇ~なぁ!





と器の小ささを痛感したのでした。

素直にその言葉を受け止めて、たるみかけてたお肉と心持ちを締めなおしたいと思います。

12時間かかったけど、この出来事を受け止めてまたいい気持ちの「ありがとう」が言えたら、

少なくても昨日のワタシの器より、ワタシは大きくなれるはずだからね。




ありがとうは、どんどんと言いましょう。

そしていつも新鮮なありがとうを伝えていきましょう。

足りないよりは、足りすぎて積もっちゃうほどが丁度良いのかもしれませんね。



本日の名言


素直な嫁のほうがカワイイもんね。


                     BY 囚人