ちょっと怖い。

いや、かなり怖い。


国民の手に委ねられる決定。

憲法改正案。


あれはそもそもGHQによって作られた憲法であるので、

日本に見合ったところどころの改正は必要なのでは?

とは思うけど・・・。



怖いのは・・・



日本が軍事力を持つか、持たないか



ということ。

今の憲法のままでは、意味の取り方によってはイラク戦争のようになってしまう事態もある。

直接参戦ではないが、間接的に支援していれば敵国とみなされても仕方ない行為とも言える。

間接的参戦に見えたのはワタシだけではないはず。



ダンナ様の元同僚(うちのダンナ様は元航空自衛官)も、

2年くらい連絡つかないと思ってたら、


「イラク行ってました。」


と年賀状に書いてありました。

やっぱり、イラクに行ってた方は心身すり減らすようです。




もし仮に軍事力を持ったところで、平和になるのか?



ワタシは平和とまたかけ離れていくと思う。

正義や平和のためを名目に軍事力を持とうというのであれば、

それは国民を守るためなのか?と考えてしまう。

軍事力を持つことで、さらに貧富の差は開くのでは?と思うし、

その軍事費はどこから捻出するの?



「国民を守ってやるんだから税金もっと払え!」



ってことになるんじゃないか?と思う。

私たちが税金を納めているのは、みんなが最低限の生活を営むことができるようにするためでは?

戦争や、兵器に費やす何千億のお金で何人もの命が救えるだろう?

世の中飢えて死んでいく人のほうが多く、たまたま裕福な国に生まれたのに、

生きたい一心で死んでいく人間を尻目に、最後に持ちたがる力が、

軍事力?




ワタシが払っている税金て、何のためなんだろー。




って何年か後、今以上にブツブツ言ってる気がする。



ダンナ様のおじいちゃんから第二次世界大戦のときの話を聞いた。

長岡にも集中砲火がありました。

その時の空は、



「いやぁ、明るいのなんの。真っ赤の空になってなぁ。」



10キロ以上離れている町の空が昼間のように明るいんですよ。

その空の下で何人が逃げ惑い、生き別れ死に別れ、真っ黒焦げになって息を絶えたことか。



軍事力を持つって、一歩間違えればその場面に出くわすんです。

お年を召された戦争経験者がこの日本に少なくなって、

「死人にくちなし」という考えの政治トップが出てきたときにはその率は大幅アップでしょう?



力を力でねじ伏せることが平和だなんて、思いたくないです。

確かにそんな考えは理想論だ!って言う人も多いでしょう。



国民投票が実現して、軍事力が持てるようになった時、そして戦争が起きたとき、



「国民たちが戦争を選んだ記念すべき国民投票」



とならなければよいな・・・と懸念してしまう今日この頃です。





多分、世界各国の普通のワタシのような庶民はそう思ってる人も多いよね。

軍事力を持つことで得をする人って・・・そういう色んな企業だったりとかだし。

エリートと呼ばれる人たちだったり。



改正案賛成!

って人だって、平和を築きたいのが思いの根底にあることだってわかってる。



ただ闇雲に、国の技術や力を誇示したがるような戦争バカの国に成り下がらないことを祈ってます。





本日の名言


力を力でねじ伏せようとした時、

力はあらゆるベクトルを指し、

いずれ違う形で矛先を向けてくる脅威になる。

そしてそれは、「負」という悪循環の新たな力を帯びて

諸刃の刃になり、きっとあらゆるものを傷つける。

 

                              BY 囚人




理科・あるいは物理で力には作用反作用の法則が働くと勉強したことある人もいますよね。

(ワタシは物理関係大の苦手でしたが・・・)



目に見えない世界の力だって、

宇宙ではしっかり作用反作用しているのです。



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