知ってる方は知ってると思いますが・・・。


某ブログのママがつい最近お亡くなりになりました。

実際のところそういう形で閉鎖にされただけなのかもしれませんが。




その方は、ワタシのブログに訪問されてる中でご存知の方もいると思います。




彼女は先月女の子を出産したばかり。

だいぶ以前からマタニティーブルーを患っており、出産後、亡くなる直前まで育児ノイローゼになっていたふうに見受けられました。




亡くなる前の日のブログには実家のお母さんが手伝いに来てくれていると書かれてました。

他の方もこんなこと考えたりするんですか?と。


亡くなる直前のブログには、お子様の名前を呼び、

明日から一緒にいて上げられないの、

ごめんね、さようなら。

と書かれておりました。




彼女はいい母親じゃなかった、子供は親を選べないのにこんなお母さんでごめんねと綴っていました。





いい母親。










それって、誰が決めるんでしょう?






ワタシもここだけの話、




自分の子に対して、


「こんな子産むんじゃなかった」

「どうしてこの子授かっちゃったのかしら」

「この子のせいで自由がない」

「この子殺してワタシも死のうかしら」


幾度このような暴言を吐いたことか。

実際に子供の首に手を伸ばしたことだってあります。





でも、最後行き着くところは、


「こんな手がかかる子、ワタシ以外誰が面倒みれるってんだ」

でした。


どんなに暴言吐いたって、どんなにゲンコツ食らわしたって、

子供はワタシの後をついてくる。

だっこだっこ!って抱きついてくる。

チューしてくれる。

なんの疑いもなくワタシを好きでいてくれる。




ドキドキ無償の愛ドキドキって、こういうことなんだろうなって子供から学んだ気がします。

未だワタシには実行できないけどね。子供の頃限定なのかもね。






いい母親


一般的に決して今の段階のワタシはソレではない。

かといって、


悪い母親


でもない。












どういう教育をすれば100%いい子になるか、正解なんてない。

マニュアルみたいな俗本で育てたところで、そのとおりに育つわけがない。





ワタシは、母親という立場ではあるけど、

あくまで「囚人」という一人の子供を産んだことのあるただのオンナ。

「囚人」としてしか響と誉を育てることができない。




でも、それでよくない?



だから、自分がつまづいた時とかへこんだ時、このブログに書き込んだり、みんなのブログを覘きにいったりする。

直接顔を見ることがないから素直に話せる。

直接顔を合わす友達に言えることと言えない事ってあるじゃない?




図々しいかもしれないけど、

ここで知り会えたブログ仲間はママ友パパ友だと思ってる。

悩んでる人のところで励ましたり、悩んでたらみんなが励ましのコメントしてくれる。

それで




「ワタシ、まだやれる、大丈夫。」




ってまた育児や家事を頑張れるんだ。




うちの場合、ホントにワタシじゃなかったらこの響と誉は育てられないよ。

仮に明日私がいなくなって誰か後妻に入ったって、子供の面倒見切れないって。


それわかってて、響と誉はワタシを選んで生まれてきたんだ信じてる。

ワタシなら育てることが出来ると信じてね





一人の人間同士として、一緒に過ごせる限られた時間の中で、どんだけココロを通わせることが出来るか。








母親っていう言葉の意味の前に、それを目標にして、子供と一緒に成長したい。

どんなサイテー母ちゃん!て呼ばれるようになってもキチンと生き抜いた姿を最後に見て欲しい。



ワタシがどんな母親だったかは、

ワタシが死んだ時に子供が決めりゃいいかなって



腐っても鯛、腐っても母。



ワタシの子育て仲間に告ぐ




生きて生きて生き抜こう!