登場人物

①光田 煌陽(みつだ こうよう)
この物語の主人公。空手をやっている中学1年生。最近反抗期気味。

②光田 真喜子(みつだ まきこ)
煌陽の母。最近、反抗期の煌陽に手を焼いている。

③真治(しんじ)、紗耶香(さやか)
煌陽と同じ空手道場に通う仲間。中学2年生。


第三章 

 「なあ、お母さん、煌陽(こうよう)ずっと鏡見てるで。大丈夫かな?」

夕飯のテーブルセッティングを手伝いながら、煌陽の姉、由梨(ゆり)が味噌をとかしている真喜子に話しかけた。

 「え?鏡?たんこぶでも出来たんとちゃうの。そんなことより、早く煌陽と徹(とおる)呼んできてよ。また今日も空手に遅刻してしまう。」

光田家は、三人兄弟である。
姉の由梨が中学三年生、次が煌陽、そして徹という小学四年生の弟がいる。
由梨は空手をやっていないが、兄と弟は、そろって稽古に通っているのだ。
今日は月曜日。
練習日である。
ここのところ、開始時間に間に合わないでいる息子達に、真喜子はやきもきしている。
何事にもきちんとしていないと気が済まない真喜子は、時間にも正確だ。

 「早く、夕飯を食べなさい。今日こそはきちんと時間通りに道場に行くのよ。」

先に道着に着替えた息子達が、夕食を食べる姿を見ながら、真喜子はせかした。
道着を着ると、真喜子の目にも息子達は多少、凛々しく見える。
特に煌陽が全国大会で怪我をしながらも戦った姿を思い出すたびに、真喜子は胸が熱くなる。
ビデオを撮りながら、目に涙が溢れた。
真喜子自身も中学、高校と水泳で全国大会に出場した。
煌陽がこのところみるみる背が伸びてきているのは、真喜子の血をひいているようだ。

息子達を見る視線に力が入るのは、空手のことを思い出しているためだけではない。
実は、子ども達にはまだ隠していることが真喜子にはあった。
特に最近反抗期の煌陽を前にすると特に、何と切り出していいかわからなくなる。

「ごちそうさま。おい、徹、行くぞ。」

「煌陽、待ってくれよ。」

徹は、煌陽のことを「お兄ちゃん」とは呼ばない。煌陽が由梨を「お姉ちゃん」と呼ばないのをまねているのだろう。

田植えが終わった田圃の間の道を、兄弟は自転車をとばす。
一年で一番日が長い季節だ。
だんだんと薄暗くなりつつも、まだ視界は明るい。
田圃の水で冷やされた夕方の風が心地よい。

二人が通う空手道場は、寺の境内にある。
住職が空手の師範という少し変わった道場だ。
だから、神棚の代わりに、道場の正面には南无阿弥陀仏の掛け軸と、阿弥陀仏が安置されている。

道場では、五歳から高校生、一般まで、あらゆる年代の人達が汗を流している。
煌陽と徹、それに真治(しんじ)や紗耶香(さやか)などは、少年段を取得しており、技術が上なので、高校生や大人達と一緒に練習することになっている。

後半の部の開始時間は、六時三十分である。
煌陽や真治以外にも挟山木(さやまぎ)中学生達があと十人ばかり習っており、みんな、クラブ活動を終えて、夕飯を済ませてから道場に来るのだ。
中学生メンバーは、幼稚園の頃から習っているので、全員幼なじみの間柄だ。
煌陽は空手自体も好きだが、気心の知れた仲間と会えるのも、また楽しいのである。
そこに、高校生達と、コーチ達が加わり、なかなかの盛況ぶりを見せている。

道場の名前は、鸞風舎(らんふうしゃ)という。指導の中心は師範の宮本慧淳(みやもとえじゅん)であるが、宮本氏の息子で寺の跡取りの業識(ごうしき)と、娘の樹名(じゅな)がコーチとして、何かと中学生達の面倒を見ている。

彼らに仏心が芽生えているかどうかは全くわからないが、一歩境内に足を踏み入れると、そこには樹齢二五〇年を超えるモチノキや、楠が植わっている庭が広がり、その奥の本堂の回廊を渡って、道場へと入るという環境は、少なからず子ども達の成長には良い影響を与えているだろう。
阿弥陀様の優しい顔と師範の厳しい目つきを前にすると、いたずら心でちょこっと吸ってしまったタバコのことがばれませんように、と心中つぶやく中学生もいるはずだ。