3年前に書いたブログを再掲しています

 

 

 

私の家族の2人の猫さん達が

どちらも虹の橋を渡ってしまいました
 

 

 

その時にそれまでの妙な私の感情を

私はやっと理解出来ました

 

 

 

是非

読んで下さると嬉しいです

 

 

 

 

 

 

 

 

虹の橋のイラストを拝借しようと思ったけど

いろんな子が元気だった時や

旅立った時の写真などが掲載されていて

涙が止まらなくなるのでピーターに代役を努めて貰います。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

私にとって年上猫の存在がどれ程大きいかは、かなり鈍感な私の夫でも充分知っていたので、この電話の後で、


『○○○が死んじゃった、もう逢えない、

  お骨も、○○の時と同じで、共同の処理場に入れたんだって、、、』

と、私は泣きながら絶叫した。


すると、普段はかなり温厚な彼もかなりのショックだったようだったけど、それよりも私が受けたショックを想像したんだと思うのだけど、何とも言えない様な悲しい表情をしていたし、いつもなら絶対に口にしないような言葉を放っていた。

それ位、彼も悔しかったんだと思う。


。。。。。。。。


毎月、猫達の為に御飯代や雑費や病院代などを積立していたし、今年はダメだったけど来年は行けるかもだから、その時の為に…、などといつも言っては実際にそこに行くことを楽しみにしてた。


だけど、事情があって中々行けなくなっていると同時に、年上猫も年齢を重ねて来てるから、もしかしたら次は無いのかも、、、とそう言うことも勿論考えていなかったわけでは無かった。


でも仮に、逢えなかったとしても、年上猫がそこで楽しく穏やかに暮らせていて、それで最期を迎えたのなら、それは彼には幸せなことだろうから、それはそれで受け入れないと…、と言うこともわかってはいた。

(実際、年上猫は私のいない暮らしにも慣れ、結構楽しく暮らしていたみたいだったし)

それで、元気な内に逢えなかったのなら、せめて彼のお骨だけでも抱いてあげたかったのだ。



ただそれだけのことなのだ。



それだけのことなのに、それをお願いしていたのに、毒母はまたしてもそれを無視したのだ。
前回、年下猫がお空へ引越した時同様、お骨を勝手に処分していたのだ。


彼女はいつもそうだ、人の話は聞いていない。

仮に見たり聞いたりしていたとしても、忘れたのか忘れたフリなのか、そう言うことを平気でして、こちらがそれを指摘すると、激昂して騒ぎ立てもう話が出来ない。

一事が万事、もう全てにおいて昔からそうだった。

笑って誤魔化そうとして、それが出来ないとヒステリーを起こしてわめいて叫ぶ。


この時もそうだった。