パワ-スポット志波彦、塩竃神社を訪ねて | 幌歌内の気まぐれブログ

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本塩竈の「すし哲」さんでランチをしながら、板さんから「近くの塩竈神社は、パワ-スポットですし、桜もだいぶ見ごろの様ですから、寄ってみては?」とのお話が・・・腹ごなしに行って観ますか

ということで、歩いて15分ほどの塩竈神社に・・・ここが第一の参道で、最も緩やかな道だとか


塩竈の塩も難しい字なんですねえ~




石畳の緩やかな階段の参道の途中にも、綺麗な桜が・・・



境内にやっとたどり着くと、綺麗な桜が・・・塩竈桜と言うそうで、神社のお印も桜の花びらなんですって・・・



凄く綺麗な、枝垂桜です・・・



ちゃんと説明も・・・



こちらが、塩竈神社の入り口になります・・・



入ると右手にも正面にもお社が・・・巫女さんに伺うと、右手の別宮を先にお参りしてから

こちらの本宮を・・・とのこと



こちらが別宮です・・・



で、こちらが本宮の左宮と右宮です・・・規模もも大きく、由緒ある素晴らしい神社ですねえ~



こちらが、志波彦神社の入り口の様です・・・この神社のウェブサイトからの引用です・・


当社は古くから東北鎮護・陸奥国一之宮として、朝廷を始め庶民の崇敬を集めて今日に至りました。


当神社創建の年代は詳らかではありませんが、平安時代初期、嵯峨天皇の御代に編纂された


「弘仁式」に「鹽竈神を祭る料壱万束」と記され、厚い祭祀料を授かっていたことが知られます。


つまり、奈良時代国府と鎮守府を兼ねた多賀城が当神社の西南5km余の小高い丘(現在の多賀城


市市川)に設けられ、その精神的支えとなって信仰されたと考えられます。武家社会となってからは


平泉の藤原氏・鎌倉幕府の留守職であった伊沢氏、そして特に伊達氏の崇敬が厚く、歴代藩主は


大神主として務めてまいりました。現在の社殿は伊達家四代綱村公から五代吉村公に亘り9年の歳月


をかけ宝永元年(1704)竣工されたものです。


江戸時代以降は「式年遷宮の制」が行なわれ、氏子・崇敬者各位の赤誠により平成23年には第十八


回の式年遷宮本殿遷座祭が斎行されました。平成14年12月、本殿・拝殿・四足門(唐門)・廻廊・随神門


以下14棟と、石鳥居1基が、国の重要文化財の指定を受けました。



綺麗なお庭と、遠くに塩釜港が見えます・・・




お天気が良ければ、もっと綺麗にみえたんでしょうねえ~



とても素敵な神社でしたね~ちゃんとお参りもしてきましたから、パワ-も頂けたと思います

塩釜の街もすてきですよねえ~こんどは塩釜港で仕事でもしますか・・・