これを見てほしい。↓
牛って泣くんだね・・!
私はクリスチャンだった時代
特に疑問も持たずに
肉や魚、卵、乳製品を食べていた。
教会で出される食事にも、
普通に動物が入っていた。
食前にはみんなで、
与えてくださった恵みに感謝します![]()
なんて祈っていた。
色んな教会に
お邪魔した事があるが、
どこの教会もそうだった。
しかし、「いのちの食べ方」
という映画で屠場の現場を
初めて見た時、驚愕した。
知っているようで知らず
目を背けてきた現実。
懺悔した。
壮絶な恐怖、痛みは
人間だけでなく
動物だって感じている事は
言葉が通じなくても分かった。
なぜ人間というだけで
人間の腹を満たすため
人間の舌を満たすために
人間の心を満たすために
違う種の自由を一方的に
奪って良いのだろうか?
人種差別と同じではないか?
なぜ、牛 豚 鶏 魚というだけで、
人間が彼らの尊厳を奪う権利が
あるのだろうか?
自分がされたらどうなのか?
屠殺の現場を知っても、
何らかの理由をつけ
動物を食べる事は悪くないと
主張する人種は必ず存在する。
そういう奴らは悔い改める事を
知らない人種なのだから
仕方がないのかもしれない。
しかし私は、
クリスチャンとか、
クリスチャンだけに限らず
ヒーリングだとか
チャネリングだとか
占いだとか、
魂の救いや体の浄化を
商売にしている奴らが
肉を食っている事だけは
どうしても解せない。
どんなに平安の祈祷を捧げても、
どんなにヒーリングの儀式や
おまじないをしても、
その口で動物を食べ続けるなら、
殺しと暴力に参加しているのと同じだろ?
まだ生きたかった
血まみれになった
無念と怨念の宿る死体を
体内にとり続ける奴らが
捧げる祈りやセッションなんて
ちゃんちゃらおかしい。
健康のためには食べた方が良いとか
聖書の聖人も食べていたからとか
痛くない方法で殺しているとか
自然界の動物だって互いを
殺し合って生きているとか
そんなの関係ねえ。
とにかく、自分がされたらどうなんだよ?
これに尽きる。
私が動物だったら、
私の同意も得ず、
想像を絶する拷問に遇わせておいて
殺された後に感謝の祈りや
鎮魂祭をしてもらっても、
全く的外れだ。
それどころか呪ってやりたい。
イエス様は許してくれているとか関係ない。
聖書を振りかざして自分を正当化するな。
お前らだって律法学者と同じだ。
可愛そうな事をしている
自覚があるなら、
すぐに暴力をやめろ。
それだけだ。
それに何の理由があるというのだ!?
紀元前とか戦時中とかアラスカとか、
食料事情が豊かでなかった
時代や環境では百歩譲って
まだありかも知れない。
でも
飽食の時代の先進国こそ、
わざわざ動物を殺して食わなくたって、
野菜だけ食べていたって
別に死にやしねえ。
現に、ヴィーガンとして子供を育て
その子供が大人になり、
子供を産み、
五体満足に元気な子供を
ビーガンで育てている3世代の
親・子・孫の家族を知っている。
戦争や難民に心を痛めたり
人の幸せを願う感性があるなら、
毎日参加している
殺しに手を貸すのを
今すぐやめろ。
つまり、
動物を食うんじゃねぇ。
屠殺の現状を知っていながら
肉食を続けられる奴らは
結局のところ、
他者を陥れても
自分さえ良ければ
良いと思っている
自己中心野郎だ。


屠殺の映像を見ても
まだピンと来ず、
呑気に動物を食っていられる
クリスチャン(とスピリチュアル野郎共)
がいるとしたら、
そいつらの根性は けがれている。
人格を疑う。
いくら主に許されているとしても
神の寛容の中でアグラかくんじゃねぇ。
怖いのイヤ~ンと言い訳して
目をつぶったり、
都合の悪い事には耳を塞ぐ奴がいたら、
そいつらも同罪だ。
身近かな食事で
暴力と殺しをやめられない者が、
な~にがスケールでかく
平和でありますように
だ。
偽善者共。
