August 2013

旅をする木 (文春文庫)/文藝春秋
¥500
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職場の人がプレゼントしてくれた本。非常によかった。
星野道夫という人は非常に情熱的でありながら、静けさを愛し、さらに人間もこよなく愛している人だと思った。

アラスカや氷雪に閉ざされた土地というものは、死の世界であり、ひたすらに自然の厳しさを感じずにはいられないが、この本を読んで、私もこんな土地に住んでみたいと思った。
死の世界であるからこそ、そこに生きている動物たちのたくましさや脆さ、神々しいほどに美しい景色に出会える。そして、その土地に息づく神話や民族の暮らし。

この本では非科学的な視点も多く出てくる。個人的にはそういった考え方は嫌いだが、アラスカにはそういったものも存在するのかもしれないな、と素直に思えてしまう。
おそらく、この作者が単なるエッセイストではなく、やはり冒険家であるからだと思う。命を懸けて自然の中を過ごしてきた、その経験から、第六感が発達してきたのかもしれない。そういった勘や感性を研ぎ澄ますことが必要だったろうし、もともと誰もがそういうセンサーを持っていたのに、都市に暮らすようになって退化させてしまったのかもしれない。

以下、気になった箇所の抜粋。

・・・自然はいつも、強さの裏に脆さを秘めています。そしてぼくが魅かれるのは、自然や生命のもつその脆さの方です。・・・そういう脆さの中で私たちは生きているということ、言いかえれば、ある限界の中で人間は生かされているのだということを、ともすると忘れがちのような気がします。

私たちには、時間という壁が消えて奇跡が現れる神聖な場所が必要だ。・・・本来の自分、自分の将来の姿を純粋に経験し、引き出すことのできる場所だ。

・・・きっと情報があふれるような世の中でいきているぼくらちは、そんな世界が存在していることも忘れてしまっているのでしょうね。だからこんな場所に放り出されると、一体どうしていいのかうろたえてしまうのかもしれません。けれどもしばらくそこでじっとしていると、情報がきわめて少ない世界がもつ豊かさを少しずつ取り戻してきます。

・・・子どもが内包する記憶とははかり知れないものかもしれない。今でなくていい。日本に帰って、あわただしい日々の暮しに戻り、ルース氷河のことなど忘れてしまってもいい。が、五年後、十年後に、そのことを知りたいと思う。ひとつの体験が、その人間の中で熟し、何かを形づくるまでには、少し時間が必要な気がするからだ。

・・・私が東京であわただしく働いている時、その同じ瞬間、もしかするとアラスカの海でクジラが飛び上がっているかもしれない、それを知ったこと・・・ ぼくたちが毎日を生きている同じ瞬間、もうひとつの時間が、確実に、ゆったりと流れている。日々の暮らしの中で、心の片隅にそのことを意識できるかどうか、それは、天と地の差ほど大きい。

寒いことが、人の気持ちを暖めるんだ。離れていることが、人と人を近づけるんだ。

動物たちに対する償いと儀式を通し、その例をなぐさめ、いつかまた戻ってきて、ふたたび犠牲になってくれることを祈るのだ。つまり、この世の掟であるその無言の悲しみに、もし私たちが耳をすますことができなければ、たとえ一生野山を歩きまわろうとも、机の上で考え続けても、人間と自然とのかかわりを本当に理解することはできないのではないだろうか。人はその土地に生きる他者の生命を奪い、その血を自分の中にとり入れることで、より深く大地と連なることができる。