2009 August

幸福について―人生論 (新潮文庫)/ショーペンハウアー
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友人に借りて読んだ。昭和33年発行だけあって、訳の感じが古いが、そこがかえってショーペンハウアーの厭世的でウィットに富んだ感じに合うような気がする。でも新訳とかも出てるのかなー。
「幸福について」というタイトルは和訳タイトルで、ドイツ語タイトル”Aphorismen zur Lebesweisheit”とはだいぶ感じが違うようだ。

結論としては幸福とは人間の一大迷妄なのだそうだ。激しい言い方だけど、中身ではもう少し噛み砕いて、まだ救われる言い方をしてくれている。

ショーペンハウアーは、人間の根本規定として次の3つを掲げている。
①人のあり方、すなわち最も広い意味での人品、人柄、人物。この中には健康、力、美、気質、道徳的性格、知性も含まれる。
②人の有するもの、すなわちあらゆる意味での所有物。
③人の印象の与え方。他人にどういう印象をいだかれるか。名誉と位階と名声とに分けられる。

で、幸福のためには②、③はどうでもよくて、①さえ満たされれば人は幸福を感じるはずだ、と。②、③は自分というものに本当の意味で属するものではないのだから。でもそういうことに気付く人はほとんどいない。

私の理解では、ショーペンハウアーの主張としては、幸福のためには、健康であることが一番。次に朗らか(楽天的、ポジティブ)であること。そして外部からの刺激を必要としない知性を持つこと(文字通りenjoy myselfができること)。それが幸福のために必要なものすべて。

外部からの刺激というのは家族や社会との社交を意味して、社交に助けを求めだすと、他人が自分に対する思惑に気を取られるようになり、名声とか他人の自分に対する愛情に意識が向いてしまう。知性のある人がすべからく静かで孤独な生活を求めるのはこのためだと言っている。知性のある人は孤独でも退屈しないのだそうだ。
それはちょっと極端な気がするが、一理はあるかなぁ。自分一人でも季節の移ろいや宇宙の成り立ちや昆虫の神秘に惹かれて、観察や読み物、書き物をすることに没頭できれば確かに十分幸せかもしれない。

知性についての考え方はよくわからないが、健康と朗らかさというのはよくわかる。人は仕事や享楽のために健康を犠牲にすることがあるが、これはまったくの間違いだな、というのは同感。あと、朗らかさというのも単純なようで、確かに重要。コップに半分水が残っていると見るか、半分なくなっていると見るか、というのは人によって大きく違うが、確実に前者の方が幸福だ。

さてさて、ショーペンハウアーは幸福だったのだろうか。これだけ風刺的な書きぶりをしているが、実際には幸福を感じていなかったんじゃないかなぁ。彼の言葉を借りると、賢人は常に憂鬱なのだそうだ。

でもまぁショーペンハウアーの時代や文化とはまったく違う現代日本人の私が読んでもまったくその通りだ、と思うことができる上、にやりとしてしまうような皮肉やユーモアにあふれる言い方、、、やはり名著なんだろうなぁ。