July 2009

豚の死なない日/ロバート・ニュートン・ペック
¥1,575
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地元の生涯学習センター内の小さな図書室前で、「ご自由にお持ちください」という札とともにたくさんの古い本が並んでいた。その中で手に取った1冊。
豚インフルエンザもはやってるし、タイトルがおもしろいなーと思って中をぺらぺら見て、目に飛び込んだのが
木は人を3回温めてくれる。1度は木を切るとき。2度目は木を運ぶとき。3度目は木を燃やすとき。」
というセリフ。
木が人を温めてくれるのは、花が咲いたり実がなったりとかそういうことかと思いきや、めっちゃシビアな考えだなーと思って気になった。

小学校の国語の教科書で、似たようなテーマの物語が載っていた。
屠殺されたばかりの豚が出てくるシーンがあって、主人公始め誰もがその死体を触るのを尻込みするんだけど、ブリギッテという、主人公も気になっているマドンナ的女の子だけがその豚の中に静かに手を入れる。そして「温かい。まだ温かいわ。」っていうんだよ、確か。
この話を(しかもこのシーンだけ)何で覚えているのかわかんないけど、やっぱり印象深かったんだろうなぁ。
想像すると生唾を飲み込まずにいられない。

この「豚の死なない日」は、国語の教科書に載ってた話よりはもう少し大人向けだけど、でも教科書のストーリーと同じように、人間として生活を営んでいく上で大事なことがいっぱい詰まっているなーと感じた。

豚の死なない日は豚の屠殺者である父親がいなくなったことを意味する。
父親そしてその家族が生きるために豚は死んでいた。
人が生きるということはいろんな生き物を殺していくということ。
それがいい悪いんじゃなくて、それをしっかり意識していることが大事。

主人公のまわりでは人間を含めた動物の生と死がいろんな形で自然にあふれていて、主人公も子どもながらにそれを喜び、戸惑いながら必死に受け止めている。
子どもの産めない豚は家畜としてペットとしては生きられない。
父親が死んだら、幼くても家を守るのは自分しかいない。
貧しさは地獄だけど、死ぬときにどれだけの人が集まってくれるか、そこに人の豊かさを見出せる。
貧しい家には厳然としたルールがあって、主人公も幼くてもその条理をわかっている。

教育を受けていないけれども信仰に篤く、質素に堅実に生きる父親が言ったセリフが本当に印象的だった。
「できるできないの問題ではないのだ。生きるためにはやらなければいけないことがある。」
「死というのは汚いものだ。生まれるのも同じだがな。」
そう、死も生も全然美しくなんかない。それが生き物。人間だって動物だって変わらない。

生きるってことはもっと厳しくて大変なことなんだってのを思い出さなきゃいけない。
自分は生きることを甘く見ている。世の中自体が昔よりずっと簡単に生きられるようになっているけど、それで生きる姿勢みたいなのが変わっちゃいけないんだと思う。
生きるために命のやり取りがあったような時代の精神力を現代人が持てるわけがないけど、同じ種の動物として自分にもポテンシャルはあるはず。
そういうことを意識するのがまずは第一歩。
そういう風に思えたら、自分の命って大事だって思えるのかも。

昨年、ある展覧会を見てから「身体的感覚」という言葉が意識によく上ってくるようになった。
広い意味では「身体的感覚」ってのは動物らしさだと思っている。人間は動物でいいんだよ。
会社で仕事してるだけの毎日だと、そういう感覚って失われてくるけど、もうちょっと触覚とか嗅覚とか第六感みたいなのも使ってみて、信じてみていいんだと思う。
もっと言ったら好きとか嫌いとか、うれしいとか腹が立つとか、素直な自然にわきあがってくる反応を大事にしていいんだと思う。
周りの人とうまくやろうと思うと、どうしても感情って抑えずにはいられないけど、感情、感性、感覚を抑えすぎることが必ずしもプラスではない。(そうは言ってもバランスが大事なんだけどね。。。)

こういうことを思っていたから自然にこの本に手が伸びたのかな。これもある種の感覚?なんて(笑)