なぜ私は水辺が好きなのか?

沖縄の水の歴史を見てみる!



湧き水は自然に地表に溢れ出て

川は湧き水や大地からしみ出た水の集合体

井戸は人が水脈を掘り当てじんわり溜まる

そんなイメージ



生き物がいるし、

水音が気持ちまでスッキリ洗ってくれる!



そんな水場が祈りの場になっているのは

命に不可欠な貴重な水で

自然に敬意があったからかもしれない!




    

本島中南部に湧き水が多いのは
石灰岩の下に粘土質の層があり水を通さないのでその間を通って地表に出てくるから



石灰岩が大きな水タンクと言われるのは

湧き水の出口からは徐々にしか出れず
石灰岩に水が停滞するからかな?


北部は石灰岩は決まった所にはあるけど
粘土層がない?土壌が保持できない分は
流れ出て大きな川になり海に流れる?


でも雨が降らなくても川の水が枯れないのは
土壌から少しずつしみ出るからかな?


    

貝塚時代の遺跡は湧き水の近くで多いという。
琉球の時代も古村は湧き水の近くにあり
水を求めて移り住んだり井戸を掘る技術が発展し新しい村ができていったという。



いつから井戸ができたのか?

琉球時代に洞窟の湧き水(クラガー)から

井戸を掘ることを思いついたよう。
観察眼すごいですね!


湧き水は⚪︎⚪︎ヒージャーというけど
そう言わない湧き水もあるのでは?
逆に湧き水なのに井戸と呼んでる場所もある?


やんばるドライブや自然散策には

ダムを見かけるから

水の歴史は気になってたんだ!


沖縄県になって水道ができた

琉球処分後(1872琉球藩〜1879県設置)
移住者など人口が増え水不足のため
1833年那覇市小禄の湧水〝落平樋川〟
を水源に簡易水道が設置された。


〝落平樋川〟の歴史
  • 3万年前の山下洞人の遺跡が近い
  • 現在陸地だが昔は海岸だった
  • 琉球王国時代では船の取水に利用

水質問題などで水道はまもなく廃止

さらに人口が増え水源を探す

昭和8年那覇市の上水道の水源に
宜野湾市や浦添市の
青小堀川、
アラナギ川、ヒトツ川

後原川、牧港川などの10箇所を使用した。

簡易水道、上水道とは

  • 簡易水道は供給する人数が5000人以下
    国の補助金が色々出るよう。
  • 上水道は供給する人数が5001人以上。
    国からの補助金は少ないらしい。

 どちらも水道に変わりはない。

🔽那覇市の水源だった宜野湾市の青小堀(現在)


拝所


第二次世界大戦で破壊され


❸1950〜戦後は米軍が
水道整備を行う

米軍の建設したダム
  • 1961ハンセンダム(金武ダム)
  • 1961端慶山ダム(倉敷ダム)
  • 1967天願ダム(山城ダム)
と井戸や河川表流水から取水しポンプ場、浄水場を経て導水管で米軍施設と人口の多い中南部に送水した。


1952年琉球政府発足後
泊浄水場の無償譲渡や米軍補助により配管敷設を行い那覇市ほぼ全域に給水が始まった。


1958年米国政府の機関
〝琉球水道公社〟設立
各市町村は琉球水道公社から
卸価格で水を買い付ける形に。

人口増加、大かんばつで水不足

❹1970年米軍が
福地ダム建設に乗り出す


1972年本土復帰
琉球公社の業務は沖縄県へ
福地ダム建設は日本政府へ
引き継がれた。


それでも足りずいまだに建設されている

沖縄の山は基地とダムが多いかも!

でもダムは水場だからか自然を感じます^_^

漢那ダムはおすすめです♪



自然を感じたくて山原に行くけど

立ち入り禁止が多くて🚧



自然を感じ足りなく不完全燃焼❗️

自然を感じるために学びは続きます🌈



参考文献

  • 《写真集》水のいまむかし
  • 水とともにこれからも北部ダム事務所30年のあゆみ


※私が過去に読んだ本の記憶や、

私自身の考えを混えて書いてます。