Aloha!
三田市、川西市、和歌山市でフラダンス教室を開いています、モリカワヒロコです。
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年末から年始にかけて、全然余裕がなく、ブログを書くのは無理でしたが、だいぶ心身共に落ち着いてきた気がします。
まず、11月の半ばに家業の手伝いをするフリをしてたら、右足首剥離骨折。3週間は安静にと言われたけどそんなわけにいかず。
1週間レッスンはお休みしたけど無理やり次の週レッスン、でも動けないから口だけ先生になりまして💧
なんだかバランスが取れなくて腰までおかしくなってきてすげー痛い!
と思ってたら、1年半に渡って入院していた実父が年末に亡くなりました。
夏のコンペ前にも危篤になり、娘と会いに行きましたがその時はもう認知症も進み、私と娘のことはわかってるんだか、わかってないんだか、な状態でしたが、それでもとても喜んでくれました。
そのあとは嘘みたいに回復して、普通に院内を歩けるようになっていたのですが、12月に再び危篤。慌てて、クムの来日レッスンのあと、私だけ病院へとんで行きました。父は酸素マスクをつけてるものの、嬉しそうにたくさん話していて、これはまた元気になるかもなー、なんて思ってたのですが、急に数日後、誰も側にいない間に逝ってしまいました。
最後に話ができてよかった。
苦しまずに逝けたのが、何よりだと思いましたが、なぜ私はもっと、父が生きてる時に優しい言葉をかけてあげられなかったのかと、辛かったです。
思えば信じられないほどわがままな父は、私が子どもの頃からずっと母に大変な思いをさせていて、それを見ていた私は父が嫌いでした。会社を定年退職してからもそれはさらに酷くなり、父への怒りは更に膨らんで、でも父は私を自分の常識に縛りつけようとして。
結果、私は父に優しくしたかったのに、させてもらえなかった、という、悲しみを抱えて父を見送りました。なんて酷い親だろうと思いました。私たちからの贈り物も、なぜか受け取ることを拒否したり、本当に酷いもんでした。
そんなわけで、葬儀では、複雑すぎる涙が出ました。
なので私は、娘には絶対こんな辛い思いをさせたくないなと思って、今があります。
でも、父は孫である娘にとっては、まるでちびまる子ちゃんの友蔵みたいに最高の遊び相手で、楽しそうに幼い頃は娘と何時間でも遊んでいました。
初孫をとても可愛がってくれました。
娘は、夏のコンペで、会場には来れなかったじいじの写真を楽屋に持ち込んで、踊る前に何度も見つめて、じいじへの想いものせて、ステージに立ちました。入賞した報告は出来ず仕舞いだったけど。
娘を可愛がってくれたこと。
それは父に感謝、すごくしてます。
私を誕生させてくれたこと、育ててくれたことも。
認知症がひどくなる前は、イベントで使った大量のテイーリーフの下準備も手伝ってくれたなー。ホイケにも2度、来てくれて。
そういう、ありがとうを本当は生きてるうちに言えばよかった。言いたかった。穏やかな交流ができないまま、別れとなってしまいました。
思えば言い出したら聞かないところは、父譲りなんだろうか?私も娘も。
きっと、私があちらの世界に行く頃には、笑って色々話せる気がするんです。穏やかに。
あまり尊敬出来なかった父から、一度だけ、目が覚めるような言葉を言われたことがあって、それだけは今も心の中に残っています。
何気ない、父の運転する車の助手席で聞いた言葉なのだけど。
博子、人を幸せにすることをしていたら、きっといつか、自分にも返ってくるから。
たくさんの人を幸せにするのは、難しいかもしれないけど、100人のうち、たった1人でもいいから、私にできることで、幸せな時間だった、と思ってもらえたら、もう十分なんじやないかな?
と、最近は父の言葉を解釈しています。
私と一緒に、フラを踊ってくださった皆さんが、少しの時間だけでもいいから、フラを習っていたあの頃は楽しいひと時だったなあ、と感じてくれたなら、もうそれだけで私がフラを続けてきた意味があるのかもしれないな、なんて。
小さくても、わずかでも、それでいいのかな?と。
もうすぐ49日がやってきます。
少し心も落ち着いて、足首もだいぶ痛く無くなってきたので、これからは遺影となった父に語りかけてみようと思っています。あちらの世界では、心で思えば、言葉にしなくても気持ちが通じるそうです。これからは。
写真は、コンペの楽屋の一コマ。
幼い頃にじいじと出かけた、神戸フルーツフラワーパークの写真を見つめて。
年末は入試真っ只中の娘はにとっても、辛いものとなりました。突然のお別れ、悲しかったね。

