1年前のあの日。
春も間近で、肌寒いものの、ポカポカとした気持ちの良いお天気の日でした。
たらこは幼稚園の遠足でした。
地震が起きたのはちょうど幼稚園にお迎えに向かっている頃で、路上を歩いてる時でした。
全く、揺れに気づきませんでした。
帰りに近所のお友達の家に寄った時に、そこの家のママが何げなしにつけたテレビが
緊急番組に変わっていて「宮城」 「震度8」の文字が目に飛び込んできました。
ぞわっと血の気が引き、鳥肌が立ちました。
私の中では
とうとう来たか!
と…。
石巻に住んでいた頃から、宮城沖地震が必ず近い将来来ると言われていたので、地元の方とお茶っこのみ(石巻ではお茶飲みのことをこう言います)をする時はだいたい地震の話題は出ていたのです。
今までのほほんと生きて来た人生で、こんなにも、死を身近に感じて過ごしたことはありませんでした。
私が石巻に4年住んでいた中で、ひどい嵐が二回来ました。
二回とも、船が座礁し、漁師をされてた知り合いの旦那様やお父さまが亡くなられると言う痛ましい出来事もありました。
友達の漁師の奧さんは『旦那もいつ死ぬかわからない』
と言ってました。
ですから、漁師の多い沿岸部では絆は誰よりも強い場所だったかもしれません。
あの日、一瞬で大勢の幸せを奪うことが、この世にあるのか…と、目や耳を塞ぎたくなった。
大切な家族や友達と引き裂かれてることがこの世の中で一番怖いのに。
あの日から、いつ何が起こるかわからない…と言うネガティブな気持ちに苛まれましたが、1日1日を大事に生きていきたい…と言う気持ちも強くなりました。
人生、いろんなことありますが、辛い時も毎日笑顔で生きていきたいです。
復興もまだまだです。
そこも忘れちゃいけない。
風化させないことが大事だと思います。
原発の問題もですが、原発の近くにまだ幼い子を2人育てている友人が住んでいます。
いろんな問題で避難が出来ないんだと思います。
したくても出来ない人がいるってこと、もっとみんなに知って貰いたい…。
そして、遠く離れたここでも、「給食に出る食材の産地を明確にして欲しい!」と
幼稚園にかけあうママさんを見ると、複雑です。
私は絶対に言えません…。
福島の友達の子供たちが頭をよぎるのです。
放射能汚染がどれだけ害があるのかも、まだ未知数だと聞きました。
目に見えないからこそ、本当の「安全」がわからない。
今後、日本が抱える大きな問題になって行くんだろうと思いますが。
どこの子供でも笑顔で安心して暮らせる世の中に…と願います。
そして、あの日まで、生きてきたたくさんの命があることは絶対忘れない…。
黙祷します。
3.11