さて、そんなわけで続きです。
そこそこ大変な出産を終えた私ですが(出産の痛みフルコースを味わった気分。だって、延々陣痛に苦しんだのに熱まで出して結局帝王切開まで経験する羽目に…)その先にはまだ試練の山あり谷あり!ですよ。
あーもうびっくらこいた~。
病室に戻った私は、とにかくちょっとした興奮状態でした。
3日寝てない食べてないというのもあってか、逆に寝られない。
両親やダンナと、まだ熱はそこそこ高かったものの、割と平気でおしゃべりしてました。
それに、結局自然分娩できなかったこともあり、ちょっとした悔しさと、達成感と、あとは……実感の湧かなさにほわほわしてましたね。
なんか、あの子が私の子供なんだ?
私のお腹にいたんだ?っていう不思議さ?
コレに関しては、未だに時々アレ?と思うくらいですもん。「ほんとに私の子供なのかーすごーい!」って、時々半信半疑。w
それくらいに出産と言うか、子供ができるって、未知の体験なわけです。
正直出産直後は、愛情があるようなないような、まだ分からない状態でした。
なにせ半信半疑ですから。「ほんとに産んだの?」っていう。
帝王切開だったこともあって、事前に希望してたカンガルーケアもできなかったし、ほんとうは立会い出産だって希望してたのになぁ。
なんとなく、子供を産んだらすぐにママになれると思ってました。
いや、なったんだけど、その…精神的にもね。
母性本能とか、子供の顔見たら愛情がぱっと沸いて溢れて来るんだろうと。
多分そういう人もいるんだろうけど、残念なことに、私は正直まだ、心はママになってなかった気がします。
なにせ半信半疑ですからね。(まだ言うか)
多分そういう人、私以外にもいるだろうと思います。
愛情も何もかも実感が湧かないまま、不思議な存在だと思うことのほうが先に来る。
じわじわとはあったんですけどね~。
あーこんなもん?ってちょっと思いました。(後で書きますが、もちろん今はすんごい親ばかと化してます。これまた不思議なもので、愛情沸きまくりでキモいくらいです。)
私の場合、帝王切開の上、子宮内感染を起こしてしまったので、娘も4~5日はNICUに入っていたから、なかなか顔も見られなかっただけに余計に実感なんてなかなか湧いてきません。自然分娩なら即日母子同室だったので、もう少し自覚も早かったのかな~?
で、この娘に会いに行くのがまた大変で!
こっからですよ。紆余曲折!
部屋に戻って数時間もしたら、あっという間に効いていた麻酔も切れてくるわけですよ。
それがまたキツイのなんのって!
自分は割りと痛みに強い方だと思ってたのが、この出産で覆されました。
私痛みに弱かったんだ…と。
それが結構屈辱で、痛み止めの薬1回だけで我慢しました。(やせ我慢)
同室の帝王切開(こちらは計画的な)のママさんは痛みにヒイヒイ言ってて、痛み止めの薬2回飲んでも足らず、最後は筋肉注射も受けてましたが、それを見て無理しなきゃ良かったとあとで思いましたけど。(私基本的にバカなのです)
でも不思議なもので、がんばって母親にならなきゃ!って思うんですよね。(このときは強迫観念に近いものでした)
まだはっきりした愛情もないくせに。
で、しっかりしなきゃ、強くならなくちゃ!と思うわけですよ。
思えばこの「痛み止め我慢」から、私の誤算は始まっていたのかなーと思うのですが…。
帝王切開の何が辛いって、やっぱりどう考えても「ハラキリ」は痛いわけですよ。普通に。
病院によってはずっと背中から点滴で麻酔打ってくれて痛みをごまかしてくれる病院もあるらしいですが(他のママさんに聞いた話)うちの病院はそんなこともなく…。
夕方くらいから一時うとうとしたのですが、ほんの少し身じろぐだけでもう激痛が走るわけです。
気分は「なんじゃこりゃーーー!」でした。<松田優作か!
陣痛も痛かったけど、ハラキリ後もかなりのもんでした。
寝返り打ちたくても打てない。痛くて体など動かせない。
でも同じ姿勢でいると腰が痛くなる。でも動くと痛い。
常にイタイイタイで、うとうとはしても全然寝られない。<まだ熱もあるのに!
3日寝てないんですよ?普通だったら記憶を失う勢いで爆睡ですよ!それが寝られない位痛いんですから。
その上、導尿されているので管が気になるし、腕は子宮内感染のための抗生剤の点滴があるし、両足は血行をよくするためかなんか知らんが、足揉み機みたいな機械を履かされて、(空気でもみもみされてたんですが、その機械の音がプシュプシュうるさくて同室の人に申し訳なくなって心が痛んだ)それも足が蒸れて気持ち悪い上、動きを妨げられて余計に苦しいし。
更に深夜になると、のどが渇いて気が狂いそうになりました。
陣痛中、水分を取るには取っていたけど、そんなにごくごくはいけるわけがなくて、ちびちびとしか飲んでなかったんです。丸2日はあまり水分が取れてなかったのに、帝王切開の可能性がでてきたからと、手術をした日の朝からは完全に飲食も止められてしまったので、もうその夜なんかのどが乾いて苦しくて仕方なかったです。
渇きって本当にツライ。
申し訳ないと思いながらも看護士さんに1時間おきくらいに水で口を濯がせてもらってました。(正直飲み込みたくて仕方なかった!)
朝の6時には水やウーロン茶が飲めますよ。と言われ、もう6時!6時!ってそればっかりで、時計ばかり眺めてろくに寝られませんでした。
6時に飲んだ水とウーロン茶、もう生きてきた中で一番美味しい飲み物でした。
今だのあの感動は忘れられない。
そして朝、ここ数日ゴハンを全く食べていなかったので、お粥が出ました。
久しぶりに口にしたのはお粥でしたが、これもめちゃくちゃ美味しく感じました。
でも翌日の朝までずっとお粥と汁物でしたけどね!(さすがに飽きた)
朝10時になると、歩行訓練を始めました。
これがまた地獄でした。
時は2月!
いくら病院の空調がきいているからといって、全身汗びっしょりになるほどの重労働と苦痛。
足ひとつ持ち上げるのも痛みでなかなか動きません。
仕方ないので手で太ももを持ってじりじりと動かしました。
どこを動かしても痛い。
腹筋って…っていうか筋肉ってほんと、繋がってるのね~。
一挙手一投足が激痛の中、何とかベッドの下の端までずりずりと仰向けで移動し、足を動かして、電動ベッドの力を借りて体を起こすことはできたけど、そこからがまた、どう動けばいいかさっぱり分かりませんでした。
手術前というか、今までどうやって動いてたのか、それが分からなくなってしまうような感覚。
助産師さんのアドバイスで、こうすれば楽という言葉に従って、何とかベッドから降りましたけど、立ち上がるのはまたかなり痛くて、もうずっと痛いばっかりでかなり感覚がおかしくなってたと思いますが、「イタイイタイ」言いながらとにかく、精神力だけで無理やり動いてました。
更に後陣痛!こんなの聞いてなかったよ!なに?陣痛って産んだ後もあるの!?
というね。(後陣痛というのは、大きく膨らんだ子宮が元の状態に縮もうとする、収縮の動きから起こる痛みです)
いや、そりゃ普通の陣痛に比べたら雲泥の差だけど、それでも結構しんどかったぞ~~?
当時、数多の出産記をネットで読み漁った私ですが、誰も後陣痛なんて話は書いてなかった!
どっちかというとお下の切れた痛みとかの話しかなかった気が…。
なので、術後の痛みとダブルで襲ってきた後陣痛にもウンウン言わされながら、なんとか病室のトイレまで行き、用を足したのですが。トイレでも大変でした。
座るのがまた激痛!!(^◇^;)
ほんと、自然分娩だって産むのはかなりの激痛だろうけど、やっぱり帝王切開はできるだけ避けたほうがいいよね。
なんていうか……産んでからが長く苦しむ。(結局傷の痛みは2~3ヶ月経ってもそこそこ痛みはありましたし。2年近く経つ未だに、傷には違和感が残る)
自然分娩の人がサクサク歩くのがうらやましくて仕方なかった。(T-T)
産後の回復の速さは大きく違います。
赤子の世話があるので、どんなに痛くても痛みにかまけてはいられないのです。
それが帝王切開の一番のつらさです。
そんなわけで、トイレまであるけてやっと導尿の管を取ってもらえました。足の器具は朝にははずしてもらいましたが。
ちなみに点滴は………。これが最後の最後までちょこちょことお世話になりましたね。
というのも、亀の歩みでその後、NICUに我が子の顔を見に行ったわけですが、その日の夕方、一旦下がっていた熱が、また上がってしまったんです。
朝はきちんと食べられた食事が、昼は何故か食欲が湧かずに半分以上残してしまって、その時点でおかしいな~とは思ってたんですが、夕方頃からひどい寒気を感じて、空調は効いてる筈なんだけど、まさか切れてる?と不審に思いつつ、少し厚手のカーディガン羽織って、更に布団もしっかりかぶったんですが、それでも手足や肩までがガタガタと震え、歯の根も合わない(カチカチ歯が鳴る)程の寒気に、我慢できなくなってナースコールしました。
「ちょっと寒いので、毛布を持ってきてもらえますか?」と。
そしたら助産師さん、何かを感じたのか、一拍置いてからこう聞き返しました。
「どのくらい寒いですか?」
「あー…もうなんというか、肩までガタガタふるえるくらい、とにかく凄く寒いです。」
と返したところ、すぐに「電気毛布持ってスグ伺います!」
もう即答の上、迅速でした。
この時点では私、自分がこれから高熱を出すなんてこと、全然気付いてませんでした。
だって熱どころか寒いんですよ?
関節が痛いわけでもなく、風邪という感じではなかったし。
助産師さんはほんとに数分後には来て下さって、スグに電気毛布をかけてくれました。
「これからかなり熱が出るかも知れないよ。とりあえず熱測ってみてね。」と、体温計を渡されました。
が、その時点では36度6分とかで平熱でした。
私の平熱は35度台と低いので、本当は若干普段より高めではあったんですが。
でも発熱と言えるほどではなかったので、私はほっとして「あ、大丈夫みたい」と思わず言ったんですが、助産師さんは、「いや、熱高くなると思うよ?とりあえず電気毛布で寒くなくなるまで体温上げよう。」と言いました。
なんで?とその時は本当に不思議だったんですが、助産師さんの言葉はその後的中しました。
どれだけ電気毛布で暖めても、まだ寒くて寒くて、1時間後くらいにもう一度様子を見に来てくれた助産師さんが、再度熱を測ってくれたんですが、その時にはもう38度9分まで上がっていました。
「あーやっぱり」といった顔の助産師さんに、「でもまだ寒いんですけど」と私。
そんなに高熱があるとは自覚できないほど、まだまだ寒かったんです。
そしたら、もう一枚、布団の上から毛布をかけてくれて、「まだ寒いってことは、まだまだ熱が高くなるってことだから、もっと暖めようね。」と。
まじでー?って思いましたが、本当にその通りで、ふぅふぅひぃひぃ言うほど体が熱くなって助産師さんにナースコールした時には、なんと39度9分!こんな高熱何年ぶりだ?という感じでした。
そして、その限界の熱さまで来てから、助産師さんは電気毛布を取り去って、今度は氷枕を持ってきてくれました。
ついでに出産当日、感染で熱を出したときに父が買ってきてくれた「ひえぴた」も、せっかくあるなら使いましょう!と言うので、おでこと両脇の下にも貼りました。
それからはそのまま寝てしまったのですが、朝には微熱にまで熱は下がっていました。
なんというか、さすがプロのナースだなぁ~と。
と、これでもう治った!と私は思ってたんですね。
けれど……これが悪夢の第二幕といった感じでですね……。(遠い目)
熱は、その後なんと、毎日のように出続けました。
1回目のとき同様の処置で、夕方から熱が出ても、夜中の高熱がうそのように、朝微熱に戻るものの、それは毎日繰り返しました。
おかげで朝ごはんは食べられるものの、昼ごはんは食欲半減、夕方例によって寒気に襲われ、夕飯に至ってはあまりのしんどさにほとんど口にできない、そして深夜には40度前後の高熱、そしてまた朝には微熱へ…と。
担当医師にも診てもらうものの、結局原因が分からず、傷口もキレイだし、おそらく子宮内感染の影響がまだあるのかもしれないと言うことになり、再び抗生剤の点滴を毎日朝夕2回することに。
たった15分で終わる点滴なんですが、ここで問題が発生。
入院初日からそもそも点滴で促進剤を使っていた私は、ほぼ毎日のように点滴していたせいで、かなり点滴を打つ血管が腫れてしまっていて、針が入らなくなってしまっていたのです。
そもそもが、血液検査のときとかでも、腕を見せるなり「わぁ、大変そう!」と言われる私の細い血管。
左腕の肘の裏側は、確実に最初から針が入る血管がないので、右腕ばかりを使っていたのですが、もう手術の段階からすでに針を入れる血管が見つからなくて、手の甲に刺していたんですが、点滴の針って通常より太いじゃないですか、同じところからは刺せないんだそうです。(血液検査の注射針程度は4~5回くらいは同じところでも入るらしい)
なので、もう毎日毎日、腕の裏側まで助産師さんと血管を探す日々ですよ!
しかも刺しても上手く血が流れなかったり、血管に入らなかったりで、3回~4回は刺しなおされます。
助産師さんは申し訳なさそうに面目ないといった面持ちで、「ごめんね、痛いよね、」と繰り返しますが、私の血管が難儀なせいで申し訳ないなぁ~と逆に私の方が謝ってましたね。
それにあの陣痛やハラキリの痛みを経験したら、こんなのそんなに苦痛なこととは思えなくなっていて、何度刺されようと割りと平気でした。
結局「ごめんなさい、もっとベテランさんに替わりますので」と、助産師さんバトンタッチ!なんてことがもう毎回。w
結局退院のその日まで、私の血管と格闘させる日々となってしまいました。(^◇^;)
それでも、出産後、たった1日だけ、夜に熱が出なかった日があったんです。
それは確か出産後4日目で、翌日には娘がNICUから退院し、体調がよければこの日から母子同室はじめますよ!というその前日でした。(通常の帝王切開は私のように5日目からではなく、4日目から母子同室なのですが)
夜熱がでなかったので、もう大丈夫だろうと、翌日娘が私の部屋へ来たのですが、そうなると体調が回復したとはいえ、何かと大変で、授乳室から一番遠い部屋にいるというのに、3時間おきにそこまで行ってオムツを換えたり体重量ったり、母乳を与えたり、与えられなかったとしても、母乳マッサージしたり指導を受けたり、ミルクを与えたりするわけです。
一番部屋が遠い上に、傷が痛くてのろのろ歩きしかできず、とにかく全ての行動が痛いのに、ベビーカートを押しながら歩き、オムツを換える。
カートの下にオムツやおしりふきが入ってたんですけど、この位置に腰を落として手を伸ばすという行為がまた激痛で無理!
なので、私は数枚のオムツとお尻拭き、記録用紙と筆記具を、常に娘の頭上に置いておきました。
でないともうほんと、絶対無理。
毎日来てくれる母にオムツの補充も頼みました。
とにかく帝王切開後しばらくは、しゃがむ・座る・立ち上がる・体をひねるとかは激痛で、歩く時も点滴ぶら下げる背の高いカートのような器具に掴まりながら、腰の曲がったばぁさんのようによろよろと歩くのが精一杯。(常時の点滴は必要なくなってたにもかかわらず、私は退院ギリギリまでコレにお世話になってました。)
うっかりペンを床に落としたときにはもう絶望したーーー!ってなもんでした。(T-T)
特に咳くしゃみは厳禁!
地獄の苦しみです。(けっこうしたんだよね、これが…)
そんなこんなで、自然分娩のママたちに比べて、私はあまりに歩みも行動も遅く、授乳の時間に部屋へ向かっても、そこで軽く1時間は使ってしまって、戻ってくる頃には2時間も寝る時間がないという有様で、更にはその間にも娘はわんわん泣くこともあるわけで、泣いても私は傷が痛くて他のママたちのようにスグにベッドから降りられず、「うるさいだろうな…」と周りに気ばかり使って、もう色々かなりボロボロでした。
そんなわけでここからがまた地獄です。
ママになったんだから!という気持ちばかりが強くて、母乳はろくに出ないし、行動は遅いし、なんだか心は折れそうになってるしで、かなり追い詰められてきちゃったんですね。
更には、母子同室になったその日の夕方になって、またあの嫌な寒気が再開。
再びあのローテーションが巡ってきてしまいまして、結果としてこの日から、再び始まったあの高熱の夜は毎晩来て、退院前日まで繰り返しました。
私が入院した病院は、田舎にしてはそこそこ規模の大きな、民間の総合病院だったのですが、その病院は出産当日を含めて、帝王切開の妊婦は10日間入院となっていました。(自然分娩は6日間だっけな?)
なので、実にそのうちの8日間、私は毎晩40度前後の高熱に見舞われていたことになります。
それでも、娘を3時間おきに(朝とか昼とか夜とか関係なく、とにかく3時間おきなんです。)授乳室に連れて行かないといけない…というわけで、もう本当に大変でした。
熱が再開してしまってからは、私はこんなに精神的にも体力的にも弱くて大丈夫なんだろうか?母親失格ではないかと、娘にも、毎日朝から晩まで付き添ってくれた母にも申し訳なくて、毎晩泣いてばかりいました。
ダンナも、かなり仕事が忙しい人なのに、入院中2日に一回は見舞いに来てくれて。(毎日残業で10時過ぎに退社するような人だったのに)職場の人も私の調子が悪いと言うことで、かなりダンナをフォローしてくれたようです。
なんというか感謝しかないんですが、もうそれがまた素直に感謝という風に受け止められず、それが申し訳ないという気持ちになって更に自分を追い詰めてしまっていました。
これは今考えれば、産後ブルー(悪く言うと軽い産後うつ状態というか…)もあったんだろうな~と思います。
そういうわけで、身も心もボロボロで、見かねた母が、大部屋から個室に移ったら?と提案してくれたのですが、個室は数が少なく、その時空いてなかったんですが、運のいいことに、個室しか開いてなくて大部屋希望だったのに個室に入っていたという人が見つかり、部屋を交代してもらえることになりました。
個室は高いので、私はまたも申し訳ないと思ってしまったのですが、ダンナと母は、「いいじゃん、入れるなら個室入りなよ、帝王切開だったから医療保険降りるし、病気扱いになるから高額医療請求もできるし、かなりお金戻ってくるよ?」と言ってくれて、結局個室に移動することに。
これでかなり気は楽になりました。
娘が大泣きしても、個室だとあせらずに自分のペースで動けましたし、授乳室へも多少近くなったので。
そして更には、助産師さんも「体調が悪いときや、精神的にしんどい時は、赤ちゃんこちらでお預かりできるので、気軽に声かけてくださいね」と言って下さって、2晩ほどは預かって頂きました。
これもだいぶ負担軽減になりました。
なんといっても高熱がしんどかったので。(T-T)
40度の熱とかでふらふらの意識もうろうになりながらの授乳室は、今でも結構なトラウマです。(^◇^;)
そしてなんとか母乳を出さねばと、初乳をぎりぎりと搾り出していたのですが、母乳マッサージといい搾り出しといい、乳を出すのがこれまたあんなに激痛だとは思いもしませんでした。
知らなかったよ!!出産後もこんなに痛いことフルコースが待ち構えてたなんて!
高熱で搾乳…ってのも、なかなかにしんどかったです。(T-T)
そしてついに高熱の原因が発覚するのですが、それが分かったのはなんと退院前日の検診。
……が、また結局激長になってしまったので、その結果は続く…にしてまた明日書きます。
あれ?短くまとめるはずが結局語り倒しておるではないか!(びっくり)
思いだしたら、なんだかあんなこともこんなこともあった…!と書いてしまった次第です。
まぁ、忘れてしまう前に書きとめておくというのも大事かな…?
あ、そうそう。
今更ながらに、入院後にコメントくださった方へ、レスを返してみました。
1年10ヵ月後の返信とか……ねぇ?もうありえないですよねぇ?(^◇^;)
本当に申し訳ありませんでした!(土下座っ)