お別れはあっという間

父らしい最後だった

大往生なのだろう

ほんとうに、父らしい

いろいろな意味で


このような書き方をすると、冷たい娘なのか、と思ったりもする。

この一年、実家の人間関係でいろいろなことがありすぎた。人間不信にもなった。血の繋がった家族間のことだから、悲しすぎた。

最後の最後でおかしな関係になるとは、

分からないものだ。

相手を理解することの難しさ。


でも、母、兄、私の間で、まだくすぶっている。



父は1月28日早朝、亡くなった。

兄が22日に一時帰国し、27日に父をかかりつけ医に連れて行った。

入院を勧められたが、父は断り、帰宅した。

その1週間は毎日、記録的に冷え込んでいた。

翌朝、ベッドの横の床に、突っ伏しているのを、兄が見つけた。

すでに心肺停止だった。


自宅で亡くなったので、警察のお世話になった。

ベッドの横に、夜中に書いたであろう父の走り書きがあった。

「オレは危険な状態だと思う、、、、、、、、、、、、、、」


警察の検死で、「心不全」


最後の最後まで、意地でも自立した生活を貫き、家族にも、他人にも依存せず、

自分の信念を曲げず、貫き通した

あっぱれな最後だった


涙を見せたのは、兄だけだった。

兄には後悔が残ったからだろう。

実家に関わらなさすぎたからだ。


私の中には怒りが残った。


葬儀で使う写真を整理していた時、ペットの犬たちとの写真がたくさん出てきた。

父が心から受け入れたのは、2代目「アカ」というオスの柴犬。とても可愛がっていた。

アカとの写真には、私もたくさん写っていた。

私が免許取り立てで、初めて、父母アカを乗せて、那須の貸別荘に出かけた。

3人+アカで茶臼岳登山もした。


ペットを囲んで、父と良い関係の時期もあった事を思い出した。


今は、たくさんの手続きに追われている。

人が亡くなると、こんなにやることがあり、大変なのだ、と目が回りそう。

何より、残された母の心配が大きい。



「パパ、93年間、お疲れ様」