母について
母について書いてみます。私にはとても重いです。
母は、美しくて、明るく、しっかり者の女性だったようです。私から見る母はとても頑固で、気が強く、融通が効かない潔癖症です。白黒はっきりしていないとダメで、間違ったことは許せません。ですが、ユーモアのセンスがあり、頭の回転が早いです。そして、とにかく家庭人です。家事を完璧にこなし、贅沢をせず、幼い頃はよく服を手作りしてくれました。何をやっても器用にこなします。気が強いので、気の合わない人との交流にはイライラしてしまうようで、近所の人やママ友とも、気の合う数少ない人としか話さないですし、外でおしゃべりするよりも何よりも家庭を守るということに全力をかけていました。努力家で根性があり、特に子供にはなんでも一流のもの、最高のものを与えたいと思ってくれています。
母は常に夫(私にとっての父)が不満でした。子供達の父親としてもあまり「こう育てたい」というビジョンもなく「子供には成功してほしい」という夢も強くない父親ぶりが母にとっては不満だったのですが、なによりも「夫」として不満だったろうと思います。母は家庭を第一に考え、妻を愛し、労り、人として尊敬でき、自分を引っ張って行ってくれるような夫を理想としています(いや、まあ、そんな夫がいたら嫌と言う人の方が珍しいですよね)。また、父の実家からいつも無理難題を押し付けられ、苦労させられたことも、父に対する恨みに拍車をかけたようです。小さい頃から、父に対する恨み、父の実家に対する恨みつらみをずーーーーーっと聞かされてきました。母は常に、自分の結婚生活と家庭にイライラしているという印象で、よく感情的になってイライラをぶつけられたり怒られるので怖かったです。
夫に大きく失望した母は、子供を教育し、いい学校に行かせ、いい職業につかせ、成功させることを強く望んでいましたし、それによって自分の価値としていたのかもしれません。母は、完全な教育ママでした。でも、教育がなぜ大切かという理由やその先にあるものを子供に丁寧に説明するということはしませんでした。とりあえず勉強しないと怒られ、成績が悪いと怒鳴られたり叩かれたりするので、しんどかったです。母からすると、勉強するのは当たり前!と思っていたようです。
家庭、特に子供に対する愛情は人一倍強い母は、家庭の悩みができると、気楽に考えたり受け流たりすることができず、髪を振り乱し一睡もせず悩みます。そして明け方にそのストレスが爆発して、早朝母の怒鳴り声で目が覚めるということもよくありました。食事の時間も常にイライラしていて、せっかく料理が得意な母の手料理も、怒られながら、あるいは夫婦で怒鳴りあっているところで食べるので、味がしない、嫌な時間だったことがよくありました。
今は子供が全員独立し両親とは暮らしていません。そうなると母はまた夫に対する不満が増して、毎日のように電話で聞かされます。それもずーーーっと同じ話を繰り返しています。結婚するのが嫌だったけど親の顔を立てるために結婚した、どんなに夫(私の父)が嫌な人で、間違っていて、自分が苦労して、でも自分は正しくて、いい奥さんでありいい母親で、でもそれを認めないし大事にしない夫が悪いか、と言う話が延々と続きます。聞いても聞いても、愚痴が泉のように湧き出てきて、本当につきないんです。
父も母とは性格が合わないので、子供がいなくなった今でもよく母とは衝突しているようです。もともと社交的な父は、家庭が居づらくなると外へ出かけます。そしてそれがまた母のイライラに拍車をかけ、鬱状態のようになります。そうなると頻繁に電話がかかってくるのですが、私には父を変える力も、母を変える力もないので、心配とストレスだけがつのります。
もう両親ともに高齢です。母も持病をたくさんかかえ、だんだん日常生活もしんどくなってきています。それでも毎日夫のことを悩み、イライラしています。反対に、子供に対する愛情は今でも底なしです。私が親の面倒を見る年齢になっているのに、いまだに私が実家に行くといそいそと食事(しかも思春期の子が食べるような量)を作り、持って帰らせようとあれこれ準備します。お金も渡してきます。(私の方が渡したいくらいなのに、絶対に受け取りません。)母親としての愛情がとても深いんです。でもちょっと深すぎるのかもしれません。私としては、そんなに私たち子供に与えてくれなくても、余生を大事に、好きなことを1つでも見つけて、心穏やかに過ごして欲しいです。私が母の辛さを代わってあげられるなら、代わってあげたいです。でも父を変えてあげることはできないんです。