「発達を理解しようとしないで」
と繰り返しています
例えでよく使うのですが
「OSが全然違う。理解しようとするのは無理矢理A用のプログラムでBを動かそうとするようなもの」
が自論です


目的は同じなのに別物、けれど認識できない人にはまったく違いがわからない厄介なモノ
よく発達系は空気が読めないから困ると聞きます
目的は同じなのに別物、けれど認識できない人にはまったく違いがわからない厄介なモノ
よく発達系は空気が読めないから困ると聞きます
けれど
敢えて個人の意見としてここに書きますが、、、
恋愛においての察して文化は男女ともに面倒くさいよね?


恋愛においての察して文化は男女ともに面倒くさいよね?
(それは定型と発達の違いへ代替できるよね?)
という価値観を持つ私からすると、
その論争に出くわすたび
どっちも正しいよな〜って思うので
参加できません

ようは己を変えるような損する真似はしたくない、という自己主張の方法が
ようは己を変えるような損する真似はしたくない、という自己主張の方法が
まったく違うだけに(私は)見えるのですよね

けれどそもそも理解できようがないものをしようとすると
けれどそもそも理解できようがないものをしようとすると
たいてい壊れます


これが、たぶん巷でよく見かけるようになったカサンドラ症候群(俗称)というものだと思ってます、、、


もう、、、
ASDとは一つ屋根の下に居てはいけない
ASDとは子供を持つな(高確率での遺伝)

むしろASDは呼吸しているだけで人体に害を及ぼします



的な
感じで書かれているわけで
、、、


これが、たぶん巷でよく見かけるようになったカサンドラ症候群(俗称)というものだと思ってます、、、
もう、、、
ASDとは一つ屋根の下に居てはいけない
ASDとは子供を持つな(高確率での遺伝)
むしろASDは呼吸しているだけで人体に害を及ぼします
的な
感じで書かれているわけで
、、、
これでどういう現象が起きるかというと、、、
自覚していない人々の特性は歳と共に酷く攻撃性が増すだけで
自覚している人々は男女共に徹底的に1人、もしくは子供を産まないで生きていく方法を模索します
女性のASDはとくにそうなのではないでしょうか?
人の気持ちが想像できないと言われる私たちですが、想像しすぎて動けなくなる特性を持つ人々もいます
過去の私がそうでした
今もその傾向が残っていますが、診断を受けてから敢えて発言について我慢し過ぎるのを辞めました
それでも「言葉」「対人関係」が原因で人生の半分以上ろくに社会経験すら積めず過ごす羽目になっているので、語彙を増やし表現パターンは増やしまくっています
変化を好まないとも言われますが、、、
診断後は体重を美容体重まで戻しました
依存性の高い食べ物は普段の食事からは排除し、栄養効率を高めた献立を食します
「できない」から先まわりして対策をうちつづけた結果です




これからこういう習慣的な変化は
行政機関も含めて私の人生にはもっと現れると思います

何を楽しみに生きているの?
事情を知らない人々は、私の生活を知るほど引き気味にじょうだんで伝えてくれます
何を楽しみに生きているの?
事情を知らない人々は、私の生活を知るほど引き気味にじょうだんで伝えてくれます
私は診断が降りてから自室からネット関係の機材をすべて放り出したので、そのような生活を経験したことがない人達からすると退屈を通り越して想像すらできないらしいです


ないなら作ればいいじゃない
できないからトライすればいいじゃない
診断がおりてからこのような感じなのですが、それでほかの発達の方々と話が合うことは稀で、、、
自分のやり方を正しいと思った事はないですし、同じ発達の人たちにすすめたいとも思いません
それでも発達の中で対人関係に関する困り感を出された時に
私は己の行った事すべてを伝えます
、、、空気よめないわ、あいつってなるんです