お久しぶりですぴーこです。結論から言うと生きてます。
その日は突然やってきたのである。
熊本市中央区に現在住んでいます。
4月14日、帰宅してご飯を食べて、お風呂にはいろうかなーめんどくさいなーと思ってたら
揺れた。突然。9時30分頃。iPhoneの地震速報のアラームはビビるからオフにしてた。テレビはない。
壁のラックに置いた小物が落ちたり、お風呂のヘリに置いた洗顔なんかが落ちる程度。たいしたことないのかな?どうかな?状況がわからずにどうしようと思って外を見ると、ご近所さんは外に出てる人も居た。
大げさに外に出てたいした事なかったら恥ずかしいな…とか考えてたら余震。震度4~5位あったかな。車で5分程の所に住んでる友達と連絡をとった。
怖いから外でるわ!との事。
どうしようどうしようと思ってたら12時を回ってた。うわー明日仕事どうなるんだよ、とか考えてた。その後も強い余震が続き、不安になったので友達と落ち合う為家を出た。
余震が続く中、友達と落ち合い一夜を明かしました。
翌日15日は、街もいつも通り機能し始めてた。
若干の余震はあったけど、このまま収束するだろうと思ってました。
震源に近かった職場の様子を見に行った。軽い家具が少し倒れてた程度で、それでも中央区よりはひどいなぁとか思いながら、停電だったので荒れた事務所を軽く片付け
電気が来たら掃除機かけて一気に片付けようと思い、帰宅した。
たまに余震を感じながら、眠りに着きました。
1時30分頃。目が覚めた時には激しい揺れの中だった。とっさに上体は起こしたけど寝起きなのとパニックと激しい揺れで上体を保つのがやっと。
後から20秒程揺れが続いたとの情報を見たけど、体感はもっと長かった。
揺れてる最中に停電したのはすごく恐怖を煽った。鏡は倒れ、色んなものがテーブルとか棚とかから落ちまくった。
幸い家具という家具は置いてないからそーゆーのが倒れたりはなかった。
体験した事のない揺れに、「これ死ぬやつや」ってまじで思った。マンションも古いし、外に出なければ、と本能的に思った。着の身着のまま、貴重品だけ持ち車へ。広い駐車場へ移動。その後も強い余震が続き、恐怖でいっぱいだった。
駐車場には沢山の人が同じ様に避難してきてて少し安心した。
これはしばらく家には居られないと思った。夜があけて、避難生活に備えて家に1度戻り水と食料を取り、着替えを済ませた。(変な寝巻だったので…)
ガソリンを入れるのにも行列…お店が開いたと思ったら品薄…。食欲も激減し、手に入ったお菓子なんかを食べたりしてました。
そんなこんなで1週間程の車中泊を続け、避難生活をしていました。
今はだいぶ減りましたが、余震の前に聞こえる地響きの様な音と、建物が揺れる音が頭に残り、しばらくはとてもじゃないけど家に居る気になれませんでした。またあの揺れが来るのでは…と、頭の中はそればかり。
二回目の実はこっちが本震でした~と言われていた揺れで、職場は一回目の比ではない程荒れており、周辺は液状化していました。
やっと土曜日に片付け、通常通りの勤務に戻っております。
各地の思い入れの強い場所が無残な姿になっているのはとても悲しく心が痛みます。熊本城や阿蘇神社…。その他色々。。
これから復興に向けて前を向くしかありません。
だって生きてたのだから!
放置魔の私ですが、熊本と覚えてて下さり
メッセージや直接連絡をくれた方、本当にありがとう。励まされました。嘘じゃありません。
この通り元気でいます。
自然災害とは恐ろしいもので、体験してみないとわかりませんね。こればっかりは。
わかっていた様でわかってなかったんですね。
忘れてはいけないなと思った。
お布団で寝れる幸せ、温かいご飯を食べられる幸せ、暖かいお風呂に入れる幸せ、普通の事が普通でなくなります。
生活が戻ってきて、噛み締めているところです。
それから、備えあればなんとやらとよく言ったものですがその通りだと思いました。
生きている事に感謝です。