昨年書いていた夢の話から、すっかり遠ざかっていましたね
ごめんなさいね💦
その代わり、今回は内容が盛りだくさんとなっております
それでは、始めますね
改めて考えてみると・・・人の死を知らせてくれるツールとして、電話がありますね
遠く離れて暮らす身内の死は、いつも鳴り響く電話のベルによって知らされてきました
そんな意味もあって、カバーの絵は電話に決めました
最初の話は、私が二十歳の頃に亡くなった~
当時、神奈川県に住む私たちとは遠く離れた~九州で暮らしていた祖母に関しての夢の話です
父と別居後に、持ち家のお化け屋敷に越す前に、母と私たち子供3人で短期間のあいだ、二間しかない小さなアパートで、仮住まいをしていたときに母が見た夢です
3年も住めなかった両親の持ち家=お化け屋敷は、現在は家を取り壊し更地にした上で無事に売却完了、どうぞ次の所有者の方がお祓い+地鎮祭をなされて、何事もなく御無事でありますように
当時、祖母は認知症を患っていましたが、母は仕事をずっとしていたので、なかなか遠い九州まで里帰りが出来ずにいました
そんななか、ひとりで九州へと帰ってしまった~破天荒な父
父との別居が原因で、父とふたりでしていた共同の仕事を辞めて、母と子供3人での新生活が始まるというときに、そのアパートで見た夢の話を母は話してくれました
珍しく夢に祖母が出てきたのだそうです
着物姿の祖母が立っていたのですが、足元を見ると白足袋を穿いているだけで、草履を履いていないことに気付いた母は、祖母に向かって尋ねたそうです
すると、祖母はこう口にしたそうです
「いいの・・・」
「もう、私には必要ないから」
そう話した祖母は、お迎えに来た馬車に乗って、母を残したまま行ってしまったということでした
その後に祖母が亡くなったという電話があり・・・・・
あの夢は祖母が母にお別れを言いに来たのだと分かったそうです
「草履は要らない」という言葉からは、死んだ人は草履や靴を履かないで棺桶に入るので、祖母はもう自分には必要ないと言ったと解釈しています
母はその後すぐに、祖母のお葬式に参列するために、ひとり九州へと向かいました
後で聞いた話では、携帯もない時代にどこから知ったのか、なんと別居した父がお葬式に駆け付けていたそうです
母にとっては、父との別居⇒祖母の死去と相次ぐ~人との別離は相当なストレスだったのではないかと思います
なのに・・・・・
そのとき、まだ若く未熟な私は、ただ夢の内容とその後の経過に驚くばかりで、電話の後に「母ちゃんっ」と叫んで泣き崩れた母に、慰める言葉を掛けることが出来ず見守るだけでした
きっと、祖母は大変な状況の母を心配して、夢の中に駆け付けて来たのかもしれません
母は感がいい方でしたが、実際に霊を視ることはなく、どちらかというと夢で何かを知るというタイプの霊感だったのかなと思います
他にも結婚後、主人の父親が自宅で、就寝中に心筋梗塞で突然死したとき
私達の住むマンションを霊体で訪ねて来たのか?
玄関のベルを鳴らすという出来事がありました
しかし、玄関ドアを開けても誰もいず、不思議に思っていたら、翌朝に取り乱した義母からの義父の死を知らせる電話があったのです
そして、自宅で亡くなったことによる~警察の検死解剖の結果、死亡推定時刻は夜の8時
私たちのマンションの玄関のベルが鳴ったのは、夜遅いことから時計を見た私の記憶から、午後8時だったという事を、私と居合わせた家族で体験しています
また、亡くなった姉が、この世との別れの四十九日に、私の夢に一度だけ現れたこともありました
姉は、ただすまなそうに下を俯いて立っているだけで、言葉を発することはありませんでした
人は最期を迎える時に、愛する家族の元へと霊体となって現れたり、夢を通して会いに行くのだと思います
皆さんのなかにも、そういう経験がお有りの方がいらっしゃるのではないでしょうか?
私も最期には、やはり一番愛する娘を心配して、夢の中でもいいからと会いに行ってしまうと思います
夢って、毎日みていてもどんどん忘れていく夢と、ずうっと憶えている夢とありますよね
最近は、ほとんど夢を見ない私ですが・・・
夢の世界は、現世で暮らす私たちには、不思議で計り知れない謎な世界です
別れは悲しい事ですが、逆に人は寿命まではどんなことがあっても生き続けます
そして、生きている私達のほうが、いつも浅い夢を見ているのかもしれませんね
私はそう思っているので、”あさきゆめみし”というブログ名にしています
お後がよろしいようで