カメ子の幼稚園探し、この時点でカメ子は歩けませんでした。知能も赤ちゃん。普通の幼稚園は難しい。けど、どっか加配を付けてめんどう見てくれる幼稚園無いかな?と期待しましたが絶望的。ここでも障がい児に対しての壁をもの凄く感じました。


私は生きていく上で大事な事って人の縁も凄く大事だと思っています。人と人の繋がりがないと生きていけない。地震を経験しているので強くそう思うようになった源かも。

なので、カメ子の進学も沢山色んな場所を見に行き、その時出会った当時の園長先生がとても心が穏やかと言いますか、持っているオーラ?が私にとっては良かったので、児童発達事業所に3年間お世話になりました。


イノ太郎は元気いっぱいでしたので、幼稚園選び楽しかったです(笑)カメ子の反動かも(笑)

けれど、カメ子の療育・病院の事があったので必然的に速攻お家から1番近い自由保育の幼稚園に決めました。そこは基本子供任せなので、絶対に子供達を怒らない。問題が起きても「なぜそんな気持ちになったのか?」から始まり子供達と一緒に考えて解決する。遊びも子供達がやりたい事をさせる。常に褒めてくれる。

保護者の参加型イベントが多い。(共働きの方少なかった。今は幼稚園体制変わりましたが)事あるごとにお母さんも一緒。お誕生日会もその月のお誕生日のお母さんが集まり手作りのメッセージ、そして給食をみんなで作る。子も親も成長させてもらえる温かい幼稚園でした。当時はめんどくさいなぁと思っていましたが、後になると良き思い出沢山です。

とにかく、自由だから子供達もはちゃめちゃ。音楽会も運動会もグダグダ笑い泣きイノ太郎、鼻くそほじりまくりの寝そべりからの脱走笑い泣きそれでも先生は見守るだけ。もう毎回ため息しか出なくて、お母さん同士で「あそこに立っているだけで褒めよう」って励まし合い。

私も全く何をやったのか記憶すらありません(笑)

年少、年中は子供達同士の喧嘩も多かったです。特に男の子は。

その度に報告を受けて、それについて子供と話すの繰り返し。親も忍耐(笑)

武勇伝がありすぎていまだにママ友と当時の思い出を振り返りしては大笑いしてます。

自由から始まり自由で終わりました。

小学校も心配しました。ひらがなカタカナ書けない。ただ遊んでただけなので何も勉強してない。

けれど、心はすごく育まれていて今でもこの幼稚園卒業生の子達は心が優しいです。

先生も「1番自由保育が難しい」と言っていました。わかります、子供主体ですから。先生も怒らず見守って。人数が少なかったのもありますが、先生みんなが子供達のお誕生日の登園時にハグしてくれて「おめでとう〜」って言うんです。それを見て子供達もお祝いしてくれて。今となっては本当に温かい園でした。

自由保育で育ったイノ太郎も優しいです。困っている子がいればすぐ声かけれます。

お勉強は置いといてショボーンずっと空き箱で工作をしていたので(笑)この3年間の積み重ねが開花したのか、昨年作品選ばれて学校で金賞取りました。絵も幼稚園の時書けなかったんです。書けなかったと言うより習ってないから、本人の自由だったので、イノ太郎が興味を示さなかった。

あと臨機応変能力がすごい。これがダメだったらこれはどうかな?と考える力はある。

自由過ぎて大丈夫なん?と通っていた時はずっと思っていましたが、型にはめない、子供達の気持ちを尊重する教育もあってよかったと思います。小学校入ったら嫌でもお勉強しますしね。

幼稚園の後も毎日毎日公園で2時間は遊んで帰りました。1日中遊んでるだけやなってママ友と話していました(笑)

昔おぎママがTVで「6歳までは外で沢山遊ばせたら後々能力が伸びる」みたいな発言されていたので(間違ってたらすみません)その言葉を信じて将来の我が子に期待しよう!って寒い中ただ待っているママ同士で励まし合いました(笑)

子供達も親も穏やかな人が多かったです。学年関係なく親同士も仲が良いです。バス通園が無いので徒歩圏内の方だけになっちゃうので狭い範囲ですが。中には手のかかる子供もいましたが、それをみんなで受け入れて色んな子がいるんだよって教えてくれて。


小学校とても心配しました。お勉強ついていけれるかな?よりも椅子にずっと座れるかなと?

子供の適応能力は凄いですね、全く問題なく小学校生活も行けました。

幼稚園が自由過ぎたので、小学校の行事にピシッとしてる我が子を見ると感動ばっかりで。すごい成長感じるんですよねおねがい今でも運動会、特に音楽会は泣いてしまいます。あ〜幼稚園の時に比べたらここまで成長したなぁと。カメ子の方はずーと自由でグダグダすぎて笑いしかありません。


めっちゃ長くなってしもうた…次回はお勉強系書きます。