2018年6月18日7時58分、震度6弱という大きな強烈な地震が私の住む地域を襲った。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
これは、単なる自分の覚書、日記ですが記してみます。
今回の地震を除いて、これまで自分が経験した地震の中で一番記憶しているのは、なんといっても震度7阪神淡路を中心に関西一円を襲った1995年の地震です。(体験したのではないそれは、当然東北地方を襲った大震災と津波、それに伴う原発事故です。)
私の住む地域は震度4強だった。早朝ベッドにいたが、遠くから「ゴーー」という聞いたことがない地底から押し寄せる何か不穏なものを感じて目が覚めた。次の瞬間、大きな衝撃が、、。
すぐに「、、、。、、、。大丈夫?」と子どもたちに呼びかけた。珍しいことに、5時前だったが、二人とも起きていて隣の居間で勉強中だった。姉の住む神戸の地域はもっとも被害の大きな場所の一つだった、、、、。
それに比べれば、私の場合はまだよい方かもしれないが、今も、月曜朝のあの衝撃、恐怖は心身を離れない。ちょっとした音にも敏感になって瞬間胸がしめつけられる。
しかし、今のところは余震も比較的少ないようだ。月曜日の夜は眠るのが怖くて、夜中3時ごろまで起きていた。自分の部屋の洋服タンスは動いただけで倒れなかったが、「もしもまたあんな地震がきたら?」と思うとそこで眠る気がしないので、居間の大きなテーブルの下に頭を入れて即席のベッドにした。震度4と3の余震で3度、目が覚めた。
18日月曜は、7時頃起床してりビングですぐ夜中の録画、FaOIを楽しく観ていた。途中まで観たところで、朝食にしようと、ペーパードリップコーヒーを淹れるためにガスに火をつけようとした瞬間だった。全く何の前触れもなく、いきなりドン、、、がきた。
キッチンからリビングに戻り、5段の大きな本棚が揺れ動くのが目に入った。
しばらくして周囲を見回すと、隣の和室のタンスと本棚が倒れて部屋いっぱいにものが散乱していた。リビングの隅のサイドボードの観音開きの扉が開いて客用の食器がほとんどすべて放り出されて折り重なって壊れていた。
大切にしていた、ジノリやレノックス、ウェッジウッドなどのボーンチャイナのカップやティーポット、大小のクリスタルグラスやアイスクリームカップなどクリスタルガラス類などがほとんどすべて壊れていた。
冷蔵庫、洗濯機、どの部屋の家具も倒れないまでも10数センチは移動していた。キャスター付きの家具は動いても倒れないのはよかった。
翌日の午後、神戸に住む甥夫婦がダンボール2個分の食品、カセットコンロ用のボンベ3本、電気ポット、予備電池を付けた懐中電灯をもって来てくれた。月曜日電話で話して、火曜に宅配便で送ると言っていたが、車で来てくれた。
ドンクの食パン、ミニパン類、キーウィフルーツ、パックご飯や赤飯、海苔、つくだ煮、豆類、カップ麺類、しそわかめふりかけ、和菓子やサブレ、お弁当などなど。
感謝感謝でいくら重ねても感謝の言葉が言い足りない。洗い場付近まで飛んできた壊れた人形とガラスの破片を集めて捨てるのを手伝ってくれた。
実家は少し遠いけれど、もう一人の甥夫婦は日曜に片付けに来てくれるというけれど、これは遠慮した。時間はかかるでしょうが、ボツボツ一人で片付けたいと思っている。
長女は、仕事その他で土、日曜まで予定が詰まっているから、金曜夜に一家4人で車で来るというのも、断っている。みんな現役で働いている人は自分の生活第一でいいと思う。どうしても助けてもらう必要のできたときは仕方ないけれど、できることは自分でしたい。幸い、時間だけはあるので。(明日の命のことはだれにもわからないが)
生まれて初めて体験したことが様々あった。
スーパーやコンビニからはめぼしい食品がなくなっていたが、それでも手に入るものを確保しようとどこも(近くの3カ所のスーパーに行ったり見たりしただけだが)店の一番奥まで続く長い行列に辛抱強く並んでいた(私もその一人だ)
近くの公民館は避難所になっている。自衛隊が「六甲の湯」という入浴施設を比較的近くの公園に仮設してくれていることをNHKTVで知った。頭を洗いたいが、とにかく並ぶのが苦手。好きなもののために並ぶのは読むものさえあれば平気。スーパーで並ぶときも本があればいいけれど、公園にいくかどうかは、決めていない。
次女は、たまたま地震の二日前にスペイン一人旅に出かけていなかった。しばらく続いた大きな揺れを感じながら、「彼女がこんな怖い思いをしなくてよかった」と思っていた。
彼女がいれば同じ市内にいるから、お互いの経験など話は尽きなかっただろうと思う。
ただ、同じ市内でも、私の地域は被害がもっとも大きい場所のほうだったようだ。また、同じマンションでも、建物の並び方によって被害に差があると管理人が言われていた。被害が比較的少ないのは、東西の並びで1階など下のほうの階だという。
地震など天災(あるいは予想外の人災も)で、人の暮らしはあっけなく普段の軌道から離れていくものだ。私は、今日から日常に戻るためにこれを書いている。余震は1週間くらいは同じ震度に近いものさえあるかもしれないというが、怖れていてもいなくても時間は過ぎていく。
怖れを忘れる必要はないけれど、毎日少しづつ片付けをして少しづつ日常に戻っていこうと思う。一つ一つ整理整頓して行こうと思う。
ガスは止まっていていつ戻るのか不明だがもうしばらく(来週25日という話もある)かかるらしい。でも水道と電気があるから有難い。今夜は、お湯をたくさん沸かして遂に洗髪できた。
ずっと気になっていたので、気持ちも髪も大変すっきりした。不自然な姿勢のために少し腰が痛くなった。
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そして22日金曜、地震から5日目の今日(正確にはもう23日になっているが)、夜8時過ぎに長女一家が来て、タンス類や本棚を元通りに直し、大量の壊れたガラスや陶磁器を入れた段ボールなどを捨ててくれた。パンなどの食料も持ってきてくれた。来なくていいと言ったけれど、やはり来てくれると嬉しい。
次女も明日は大阪に戻ってくるとメールで知らせてきた。
後はガスが開通するのを待つばかりだ。
20日から市内北西に住む友人宅はガスが使えるようになった。今日21日は私の住む町の周辺も開通した。隣町の友人が午後開通したとメールをしてきた。「よかったね。、、、、」と返信した一方、私のところはどうなの?管理棟の伝言板によると25日だという。大阪ガスは25日までに全戸開通を目指すと発表していたが、まさか一番さいご!?
みんなが不自由を我慢しているときには感じなかった悲しくて悔しい思いがふつふつとわいてきて自分でも驚いた。その気持ちは持続的なものではなくて、もう事実を受け入れている。
もうお風呂に入りたい。これで6日間入っていない。
実は、地震の月曜、午前中にお風呂に入る予定だった。日曜、気がついたらお風呂に入る時間が大変遅くなっていたので、「明日朝にしよう」と入らなかったことがとても悔やまれた。
愚痴をこぼすのはやめにしよう。明日は何とかしよう。ガンバ大阪もスタジアムの個室シャワーを数室無料開放中だし、他のどこかお風呂でも、とにかく明日(日付け的には今日)はどこかに行くと決めた。
もう少しの我慢だが、さすがに25日までは待てないよ~~。
愚痴交じり、内輪話のアメンバー記事でしたが、公開します。
ここまでおつきあいくださいましてありがとうございました。
追記です。
今日、23日お昼頃ガスが開通しました。うれしい。嬉しい。「ありがとうございます。ありがとうございます。」と開栓に来たガス会社の人に言った。彼のほうも「ご迷惑をおかけしてすみませんでした。」と言っていた。
これでやっと日常が戻ってきたと心が落ち着きました。
家具もあるべき位置に戻りましたし、あとは次女が来て地震の話をし、彼女の旅行の話が聴きたいが、今は雨が激しいのでいつ来ることになるかわからない。
地震国の日本では、いつどこで地震がおきてもおかしくないという。この地も一度で済む保証は何もない。むしろ他より可能性は高いのかもしれない。家具の固定は必要だし、食料品の備蓄はしていたが、もっとよく考えないといけないと思う。
当市の地震時の対応はよかったほうかと思う。シニア単身者の安否確認も地震当日朝から始め翌日の午前中には全員の安否確認ができたという。
子どもたちの安全のためには更に考えてさらにするべきことがあるだろう。これを機にちゃんと考えて改善すべきところは改善する取り組みを願います。