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★ Think Pink ★でいこう!!

いいことだけをイメージすると、きっと世界は素敵になる!

昨日、一昨日の2日間、父母懇関東ブロック大会が横浜で開催され、
両日お天気にも恵まれる中、盛会に終わりました。

父母懇談会活動、通称「フボコン」という活動は、
全国で私立学校に子どもを通わせる父母が、
各学校のPTAの枠を越えて、子どもたちの育ちを中心にして、
親や教師が力を合わせようという、横のつながりを大切にして集まっています。
各校がPTA+父母懇支部を設置していたり、地域ごとに地区別懇談会活動を
行ったりしていますが、ブロック単位で活動しているのは関東だけで、
今年は、群馬、栃木、長野を除く関東5都県から、父母と教師と生徒が
参加しました。

この父母懇活動の底流には、私学助成運動が流れています。
私学助成は「学校教育法」「私立学校法」のもとに定められた
教育施設で行われるものを「公教育」と位置づけ、
国、および地方自治体はその学校に対して助成が行われるというものです。

いわゆる文科省下に配備されている「教育指導要綱」に基づく範囲内で、
教育を行っている私立学校はすべて、その学校の規模に合わせた助成金を
受け取って、教育環境整備など私学経営の補助に活用されています。

3年前に、民主党政権が就学支援金制度を導入し、
現在日本では国からの補助と、地方自治体の助成で、
公立高校の授業料が実質無償になっています。
国からの補助は、私立学校に通う生徒にも、
公立と同じ11万8800円までが所得に関係なく、支払われています。
そのおかげで経済的理由に退学を迫られる子どもの数は
減少しているのも事実です。

今、私学助成をめぐる問題は大きく二つあります。

ひとつは以前から顕在する公私格差の問題です。
実際、上記就学支援金が交付されてからは、
公立高校に通う生徒に対し、学校教育費はひとりあたり、
112万円までは公費負担となっています。(年間)
私立高校に通う生徒に対しては、全国平均でひとりあたり、47万円です。

公立も私立も、文部科学省から「これだけの教育を修業しなさい」という
枠組みの中で行われている教育費が、公立の公費負担分112万円が
必要という話であれば、親の負担は単純計算で65万円ということになります。

世帯収入が多い、少ないの問題とは少し性質が違う話です。

「公費」=「税金」です。
公立に通わせている家庭が、私立を選んだ家庭より
多く税金を負担しているということでもありません。逆もまたしかり、
税金は平等に、収入に見合って課されているはずです。

もう一つの問題は、就学支援金制度が導入されてから、
私学助成金に地方格差が拡大されています。
国が交付する就学支援金は選んだ学校や家庭の収入に関係なく
補助されていますが、そこにこれまで地方交付税からまかなわれていた
私学助成金の設置が、自治体によって大きく差が出始めています。
所得制限を設けるなどは当たり前で、ひどいところによると、
就学支援というひも付きの補助金があるなら、使い道を定められていない
地方交付税からの助成は必要ないだろうと減額、もしくは廃止という
動きさえ見受けられます。

たとえば大阪府は家庭年収610万円までの家庭は、国と自治体の両輪補助により、
私立学校に通う生徒の授業料は無償になっています。(24年度実績)
一方生活保護世帯でも、私立学校を選んだだけで30万円以上の私費負担を
強いられる自治体は4県も存在します。

お金がないから公立に行きたければ勉強すればいいじゃないか。
日本の義務教育は中学までなんだから、中卒で働けばいいじゃないか。
私学をわざわざ選ぶのはお金があるからでしょ?

そんな意見も、私の身近でも決して少なくありません。
でも、そういう理屈のなかで議論される論点だとも思えません。
これらの意見はある面からみれば確かに事実ですが、
現代社会の中では多面的には真実とは言い難いところも多くあります。

しかし、だから「私学も無償に」とわたしは思うわけではありません。

税金はPay Forwardと考え、自分に返ってくるために、ではなく、
すべての国民が日本人として幸せに生きるために、
平等に使われることこそ真の社会保障だと思っています。
なかでも「教育」は生まれてきた地域や、家庭収入の多少で、
その価値や環境に格差が生まれるべきではないカテゴリーだと思います。

昨日、父母懇大会の終了後、午後から行われた高校生の集会は、
法政大学の校舎を借りて、『「学ぶ権利の平等」を考える』と銘打って、
開催されました。首都圏からだけではなく、愛知県、青森県、岡山県、京都府など
多くの地域の高校生が交流をもち、意見交換を行いました。

東京のある私立高校の生徒がこんな風に発言していました。

「教育とは人として生きていく哲学を学ぶこと。将来大人になったとき、
勉強だけでは解決できない問題に直面した時に必要な生きる力を身につけること。
僕らは日本人として、社会人としてこれからの日本の将来を担っていくという事実に
無縁な17歳はひとりもいない。それなのに親の経済的な理由で学べる人と、
学べない人が出てくるのは、間違っている。」

またある愛知県の私立学校に通う生徒は
「米軍基地の問題は沖縄県民に、原発の問題は福島県民にお任せで
いいわけがない。それなら私学助成の問題も、私立学校に関わるひとたちだけの
問題とは言えないのではないか?」と発言しました。

ちなみに、この生徒たちの通う学校には、日の丸も君が代も、宗教もありません。
東大進学率も数字にすらあらわせられません。

でも、きちんと日本国民として、国の将来も自分の将来も
見据えて育っているのです。大人にも理解でき、感動すら与える
美しい日本語で堂々と大勢の前で自分の意見も言えます。
こうした若苗が育つ土壌のある学校も全国にはたくさんあります。

形骸化された枠組みではなく、学校教育を真の「人間教育」として、
もっと根本的なところから見直すべき時にきているのではないかと思います。

奇しくも、そんな立派な高校生たちの意見を聞いているのと同じタイミングで、
私学助成運動の基盤をつくり、長年支えてこられた、和光学園長、丸木政臣先生が
逝去されたという訃報が昨日舞い込みました。
和光大学で先生の特別講座を拝聴もしましたし、
子どもが和光に入学したことを、ほんとうにもろ手を挙げて喜んでくださいました。
ペスタロッチ賞を獲得された時にも、
「勉強が得意な子は勉強が思う存分でき、勉強がそれほど好きではない子どもは、
何か生きるための技や知恵を身につける。それぞれがそれぞれの立場で
輝けるようにしてやる教育、すべての子どもにゆきとどいた教育とはそういうものだ」
というようなお話をしてくださいました。

昨日の父母懇大会の閉会の辞でも、「丸木先生から我々に
明日へのバトンを手渡された」と司会の先生がおっしゃっていました。
私学助成運動を通じて、日本の学校制度はどうあるべきなのか、
そしてそれは日本の未来にどう影響するのか、
そういう視線で今年も取り組んでいきたいと思います。