子どもの大切な話など、伝えても、何のリアクションもない。
文字通り話にならない。
なので、「相談ができない」「どんなリアクションでもいいから」「そうなんだ、そうかもね、いいね、そう思わない、なんでもいいから反応できないものか」
と話したところ
「ずっと頭が痛いんだよ!」となぜか逆ギレ。
リアクションに関しては
「すべて含めての、わかった、なんだよ」
と言われました。
…自分の主張が、どれだけ幼稚か子どもかにも気付いていなさそうです。
本物の子どもの方が、大人です。
やば…
でも、これで何を話しても無駄だと、本当にわかりました。
もう二度と、なにも聞かないしなにも相談しません。
とはいえ、ストレスをぶつけてもしかたないというか、そんな価値もないので、
平和に過ごすために、もはや本当に1ミリも期待せず、
そこにいる人として、そうだった、バカボンのパパだと思って、日本語がわかるだけ優秀、「おはよう」が言えたらよくわかったね、という気持ちでいようと思います。
これまで無自覚にもストレス捌け口として機能してくれていた摂食障害でしたが、
過食嘔吐せずに過ごせている数日があり。
最近、摂食障害から離れることで、ストレス発散ができず、不安やいらだちや罪悪感が、100で迫ってきてつらい、と書きました。
でも、発散や楽しみとして、食と付き合うのはありです。
これまでは、おいしいものをすべて悪として、むさぼって吐いていましたが
ふつうに、おいしいと感じて、たべること、
それを楽しみにしてもいいのかもしれない。
さすがに、あげものとかケーキとかは無理ですが
大丈夫になってきたお肉やお魚だったり、野菜を油を使って炒めたり…
おいしいと思えることを、ごほうびにしても、今なら、そういうことも、できそうです。
食を楽しむ、は、ハードル高く、まだ先のことですが…