おはようございます フローネです。


突然ですが 
わたしは宿題をたくさん出す派です(派閥があるのか?ww)

 
全然出さない塾もあるし、それはそれでOKなんです。

 
しっかし
私はたっくさん出します。
 

プリントなら10枚くらい出します。
それ以上のときも、もちろんあります!

 
生徒たちの反応もさまざまで

 
渡した瞬間に、何枚か確かめて
うえ〜っとか言ってる生徒もいれば

 
これをやればいんですね、と淡々としている生徒も。
 

 

そして怖いことに
このプリントの山を渡し続けていると
生徒たちは・・・
 
 
この宿題の多さに慣れてしまうんですね。

 


そうすると、どういうことが起きるか!

 
例えば
次の宿題が8枚だとすると
生徒から次のような言葉が飛びだします。
 

 
「あ、8枚しかない! ラッキー!」
 
そして、
「そう思えてしまう俺らがすげーー!」っていう言葉www
 
 
わたしもそれを聞いて
「すげーー!」って思ってます(笑)
 

 
ま、それはそれで置いといて、
 

 
今回書きたいのは、
 
宿題を自分でやらずに
 
わからないところを、誰かに聞く生徒について書きます。
 
 
わからないところを誰かに聞くとする。
 

お母さんに聞く、お兄さん、お姉さんに聞くなど
 
その誰かが、考え方を教えてくれるといんですが


答えだけを教えてしまったら
その子は、全く自分の能力を使わなかったことになります。
 

その答えから、逆算して
「あ〜だからこうなるのか〜!」って
勉強し直して、もう一回問題を自分で解く子ならいんだけど
 


そこまで問題と向き合ってやる生徒は
悲しいかな
数えるくらいしかいません・・(もちろん断言できないけども)
 
 


そうなると、答えと解説見て写したのと
ほぼ変わらない。
 
 


彼らの頭の中で

「どうしてこれがこうなるんだろう」
 
って
疑問が出て
 
解決策を導いて
 
 
答えを書くっていう
脳の使い方をしないわけです。
 


自分でしっかり調べて勉強する生徒は
その面倒な部分を経ているから

 
頭にしっかりと解き方も答えも入り定着する。
 

たとえ、その記憶が薄れたとしても
 
もう一度やれば、記憶が戻るのも早い。

 

だけど
 

答えだけを教えてもらった人は
解き方もわからない。
 
わからないけど答えはこれ。


という記憶だけが残り
応用問題が解けないのです。
 
 

わからないから、わかる人に教えてもらうのは
決して悪いことじゃないです。
 
 
お母さんとの時間や、兄弟、姉妹の時間が
そうやって作れるって素晴らしいことだと思います。
 

 
そんな貴重な時間に
 

できれば、解決策というヒントをくれて

自ら答えを導きだす手伝いをする、だけにとどめてほしい


教えてもらったところは、ちゃんと印をしてほしい。
 
 
答えを教えるのと、導き方を教えるのとでは
 

生徒の勉強力や記憶力に
 

おおきな
 
おおきな差が生まれてきます。
 
 
説明しても
わからない時もあるかもしれません。
 
 
白紙で出すより、埋めておいたほうが
ちゃんとやったよ、というのがわかるから
 
 
ついつい

 

 

「こう書いておけばいいよ。」
 
 
って言いたくなったりするのは
ものすごくわかるんです。
 
 
教える時間も短縮できるし
 
簡単だしね。

 

 

だけど、それじゃあ
 
目の前の子供は、

 

 

自分で考える子供にならない。

 


自分で考える問題を避ける子が
 
年々増えています。

 


教科書を見れば全て載っているのに
 

 

単語も調べない
 
連語も調べない
 

本文も、しっかりと訳しているのに
その訳すらみないから
 
 
本文を使った問題を解くときも
 
 
内容を把握のところは空白のまま。
 
 
ほんとに心底、がっかりすることがたくさんあります。
 
 
だけど、その度に
 
わたしは考える。

 

 

「どうしたら、難しい問題や、面倒な問題を見たときに

絶対見つけてやるぞ!解いてやるぞ!って思ってくれるのか。」

 

 

 

こうやって書きながらも
 
 

心の奥で「ズーーーーーーーーン」って落ちる音が
してきたりするんですが(笑)
 
  
わたしはその場に長くいれない
 
 
考えて行動、考えて行動!

 

 

あれこれ、口うるさく言って

 

うるさい先生でいないと!(笑)

 

 

 

image
 
 
今よりも少しでも前に向かっていければいい!
 
 
そう思って
 

みんなと一緒に がんばってこ!