そう、みんな全てを知れるわけじゃなく

全てを観れるわけじゃないんですよね。

 

 


昨日撮った青い空。



  

誰かに何かを伝えたりするとき

 

 

その話の全てを

最初から伝えることって

 

 

あまり無いような気がします。

 

 

言いたいことを

かいつまんでとか

 

 

聞きやすくしたり

 

わかりやすくしたりして

 

 

伝えようとする。

 

 

伝える人も

全てのうちの ひとかけらを伝えるから

 

 

受け取る人も

全てのうちの ひとかけらだけを

受け取って

 

 

そこから

自分の意識、経験の領域に入れて

理解して、返事をする。

 

 

 

言葉よりも深く、広く

受け取ろうとしてくれる人もいる

 

 

だけど、そんな人でも限界がある。

 

 

 

ひとかけらの情報を

 

 

聞いて、理解して

自分の経験に入れ込み、自分の意見を

含めて、返事をくれるんだけれど

 

 

情報が

ひとかけら だけなので

 

 

その返事は ひとかけらの半分となる

 

 

 

相手の人の考えも入るから

 

 

わたしの情報は 半分となる。

 

 

 

そんな会話を私たちはしている。

 

  


理解してもらえる もらえないなどの域の

話ではないと感じる。

 

 

 

もともと、情報量が

少ないのだから…。

 

 

 

自分が受け取る 情報も

かなり乏しい

 

 

だから

人がどうの、とか言うのは

自由だとは思うけど

 

 

まずをもって

どうのこうの言うほど

 

 

私たちは、人のことを知らない。

 

 

 

知らないというより、知れない。

 

 

 

だから

何を言われたとしても

 

 

悩むことも

 

傷つくこともない

 

  


ひとかけらの

やり取りしかしてないのだから。

 

  


あなたのことをまるっと

知ってる人なんて

 

 

あなた以外に

いないのだから。

 

 

 

イライラしなくてもいい

 

 

ドキドキしなくてもいい

 

 

あなたが あなたのことを

分かろうとしていれば それでいい