写真: 丹倉(あかくら)神社
 
 
人のイヤな部分を見つけては
心の中で、ケチつけてる自分がいて
 
そんな自分がみにくいなと
思うことがあるんです。
 
 
生徒たちなら
どれだけでも
自分の考えを直しに直して
 

 
自分の中の
「この人はこうだ!!」って
決めてしまっているものを
 
手放すことが出来るのに
 
 
どうしても
イヤな人を作ったままでいたいのか
 
 
この人は絶対〜だわ!となったまま、
気持ちがそこに止まっています。
 
 
どう考え直しても
 
 
私の中でも
イヤな部分を持っている人がいて
 
 
それを拭い去ることができない。
 
 
なんてみにくい心を
持っているんだろうと
悲しくなるときもあるけれど
 
 
私は、その感覚を
ないしてしまおうとは思わないのです。
 
 
それはなぜか?
 
 
その思いの中に
大事なものが隠れているからです。
 
 
 
みにくい心は
ある意味、素晴らしいセンサーで
 
 
なぜ、イヤな人がいるのか
 
どんな人がイヤなのか?

 
じゃどうなって欲しいのか?
 
 
っていうところを
突き詰めていけるセンサーなんですね。
 
  
 
もしかしたら
あ、私の中にも
みにくい心あるわー!
 
 
っていう人がいたら
 
 
その心に
感謝してあげて欲しいです。
 
 
 
こんな心があるって最悪ー!
 
 
なんて思わなくて
全然いいですから
 
 
自分の中から出てくることは
 
 
あーそんなふうに思ってるんだね
 
 
気づいてあげられなくてごめんね
 
 
教えてくれてありがとう
 
 
 
って認めてあげて
うけとめちゃいましょう。
 
 
 
 
認めてうけとめてみれば
 
 
みにくいと思っていた心も
 
 
とてもかわいい心になるはず。
 
 
 
試してみてくださいね。