枯れるように死ぬ
 




それは自然に死ぬということ




石飛幸三(いしとび こうぞう)医師
『平穏死のすすめ』という本を出している
 
 
 



詳しく知りたい人へ
石飛幸三医師について
 
 



 
この医師は
終末期の高齢者に
胃瘻などの延命医療を施して
苦しませるよりは
 
 
 
自然で安らかな死を
迎えさせてあげようと提唱している
  

 
 
死に向かう人が食欲が減少するのは
身体が補給することを拒むから
 
 
  
 

それを無理やり摂らせると
肺炎などになりやすくなったり
痰が増えて苦しむだけだという
 
 
  
 

老衰という状態は病気ではなく
自然の摂理であり





老衰の身体には、脳内モルヒネという
神経伝達物質が発生して
痛みを緩和しているらしい

  


徐々に眠くなり
 
 

 
自然に人生の幕を引く
 
   
 


これこそ旦那さんが言っていた
「自然に死ぬ 自然とともに死ぬ」
ということ
 

 




わたしの父にもそういう時期が
来ていたのかもしれないのに
 

 
父はまだそんな歳じゃないと
強く強く思っていた
 
 
 
また食べられるようになって
いつものソファーに腰掛けて
テレビを見るようになる
 
 
そう思っていたから 

『平穏死』は
誰か他の人たちのことって
迷いもなく感じていた
 
 
 

 
  
父の祖父は82歳で他界してるので
それまでは生かしてくれるだろう
という思いが
 
 
 
いつのまにか信念になって

 
 
 
80代を超えるまで
父は生きていてくれる
 
  

 
常にそれは心の中に居座って
自然に当たり前になってしまっていた

  

  

もちろん
旦那さんと話していた
『自然に死ぬ』という話には
父のことなんて一切入ってなかった
 
 
 



さっきも言ったように
もっと歳上の
お年寄りの人たちのためのお話し 






というのが
わたしの中での位置付けだった






父が口から食べられなくなり
担当医から胃瘻を勧められた時
 
 
 

 
自分の中にある
小さな胃瘻に関する知識を
ひっぱり出し
  

 
その担当医に楯突いた
 
 
 
あなたにとっては
患者のうちの一人かもしれないが
 
 
 
わたしにとっては
かけがえのない
この世にたった一人の父だ
 
 
  
 

胃瘻で父の食べるという
可能性をうばってしまうのか!
  
 
 

と胃瘻をすることを断固拒否していた


 

 
しかし
血管が細くて点滴ができず
何日も、何日も食べない日が続いた
 
 


 
嚥下の練習の日を
今か今かと待ちわびていたが
それも一向にやってこない
 


なぜ担当医は
何もしてくれないのだろう思っていた

 
 




 
父の身体はやせ衰え
顔の頬も痩せこけて
見ているのがとても辛かった
 


その時わたしは
わたしと母が胃瘻を承諾するまで
病院側は何もしてくれないんだと
見放されたんだとまで思っていた
 
 
 
でも
他に打つ手がなかったのも
確かだった




でも、もし『平穏死』を
知っていて、父がいまその時期に
さしかかっていると感じていても
 
 
 
  

ここで『平穏死』を
家族が決めることは酷だろうなと
   
 

 

いま思い返しても
その思いが強く出てくる
 
 
 
 
少しでも口から摂取できる人で
少しづつ食べる量が少なくなってくる
 
 
 
 

そんな状態なら考えなくもないが
 
 
  
 

でも、やっぱり弱っていくのは
見ていたくない
 

 
時間だけが過ぎ
わたしと母がどうしても胃瘻という処置に
納得できず、イライラしていた
 
 
 
それを気にかけてくれていた
知り合いの看護師さんが

 
『あなたとお母さんの納得がいくまで
先生に話してみたら』 
 
と提案してくれ
担当医と話し合いをすることになった
 
 
 
その看護師さんも一緒に
いてくれたのがとても心強かったのを
いまでもしっかりと残っている
 
 
 

 
担当医から

 
 

今のままじゃ
嚥下の練習をする体力もないでしょう
 
 

 
わたしが胃瘻を提案したのは
あなたが思っているような
機能を低下させるものではなく
 
 
 
 
嚥下の力も今は弱まっているから
口から食べられない以上
 


 
 
お父さんに体力をつけてもらう方法は
胃瘻しかないと思ったからです






胃瘻で体力をつけて
喉も力も強くなってきたら
必ず食べられるようになるから
 
 


 
 
そう説明を受けた
 
 
 
 

父はもう何年も前から
自分の意見を言える人ではなかった
 
 
 
何を食べたい?


などの受け答えはできていたけど
 
   
 

難しい質問になると
きまって返事は返ってこなかった
 
 
 
 
胃瘻の話のときも
本人の意思なんて聞けなかったし 
 
 
 
 
 
母とわたしは
父は必ず元気になって
食べたいと思っている





そう思っているに違いない
という気持ちで
 
 
 
父の胃瘻を承諾した



 
父が亡くなってからわかった

 
 

私たちの
『生きていてほしいというエゴ』
をあたりまえのように入れて
 
 
 
  
 
父の死後
わかったことがたくさんある
 
 
 

ここで
もうひとつ書いておく

 
  

 
 
人間には
寿命が短いとか、長いとかいう概念は
まったく適応しないということ
 
 
 
 
死に支度には
まだ早いという人がたくさんいるが
 
 
 

 
 
生きている様が
死に支度だといえるだろう
 

 
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